見えないものへのまなざし
験なき 物を思はずは 一坏の 濁れる酒を 飲むべくあるらし
巻3の338 大伴旅人
一般訳
意味のないことをおもうよりも、一杯のにごり酒でも飲んでいたほうがいいのだろう。
解釈
大伴旅人が太宰府に長官として赴任していたときに詠んだ讃酒歌(13首)のうちのひとつ。
この歌は普段着のことばが並んでいるので、さらっと味わって味わえないことはありません。でも、どうしても「驗なき」がひっかかる。これを「意味のない」とか、「つまらない」とかと置きかえてみても、隔靴掻痒というんでしょうか、どこかしっくりときません。それでヒントをさがしてみると、対をなすものとして「濁れる酒」が配されていることに気づきます。
濁り酒。白濁したお酒ですよね。ここでは実際にお酒を飲んでいるわけではありません。酒を飲んだほうがいいのだろうけれど、といっている。視覚的な意味を強調している。
とすると「驗なき」は、思いや考えというより、無色透明なある存在を視野においていると理解してみたい。「霊験あらたか」の〝験〟。見えない存在のこと。ここでは死んだひとの霊魂のことと読めないこともない。
旅人は太宰府に赴任後に死に別れた妻を想って詠った亡妻挽歌をいくつも残していますが、この歌もそれにつながるものとして理解してもいいのではないでしょうか。
亡き妻のことをおもってみるが、姿が見えるはずもない。いつまで想ってみても仕方がないのだけれど、ついつい懐かしく思い出してしまう。そんな、やるせない心情を吐露している。
あえて妻といわないところに、かえって妻の不在が強く訴えてくるではありませんか。
スピリチャル訳
もう夢にも現れてくれなくなった妻の姿をいつまでも追っていても仕方がない。酒でも飲んで気を紛らしたほうがましなのだろうけど、ついつい想いがまさってしまうのだ。
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