“母さん”が生んだ“孝行息子”

「母さん、間違えんさんなよ。ますやみそよ!」こう書いているだけで懐かしさがこみ上げて、涙が出そうだ。

たぶんこのキャッチコピーで間違えはなかっと思う。広島のローカルみそメーカー・ますやみそのテレビコマーシャルで、衣笠祥雄氏はイメージキャラクターとして長く親しまれた。

はじめて目にしたのはいつだったか、カープが初優勝してようやくプロ野球チームとして認められて以後、たぶん1980年前後の頃だったと思う。

そのときすでに一流選手の仲間入りをしていた衣笠さんと、地場の小さなみそメーカーの取り合わせはいかにもミスマッチ。いわゆる「格」がちがうと感じたし、「なぜ衣笠なんだ?」と小首を傾げもした。そもそもプロ野球選手をイメージキャラクターにするというコンセプトに、こちらは耐性ができていなかったのだ。

当時はまだプロ野球のスター選手といえどもメーカーと専属契約を結んでテレビコマーシャルに出るような時代ではなかった。

例えばかつて球界の盟主だった巨人の王貞治が「僕も好きです、亀屋万年堂」だったか、お菓子メーカーのTV-CMにご登場されていた程度。それも同社が国松彰コーチの親類筋で、彼に頼まれて仕方なしに出たのだという、その噂の方が話題になったようなコマーシャル事情だった。

選手もやみくもにコマーシャルに出ることはなかったし、クライアントもまだプロ野球選手を起用することには及び腰だったのだ。

そんな時代に広島というローカルの、しかも呉市に本社を構える小さなみそメーカーがカープのスター選手と専属契約を結んでキャラクターに起用したのだから、そのインパクトは凄まじかった。たぶんある世代から上の広島県人で、あのコマーシャルを知らないものはいないはずだ。

はじめ、ますやみその経営者は野球にそれほど関心があったわけではなかったらしい。カープの二軍選手の食事風景を紹介したり、外国人選手の家族を登場させたりと、遠慮がちにカープ色を出していた。

それがある奇縁から、といってそれが運命というものなのだろうが、球団の方から「3番を起用してみたらどうか」と提案があったらしい。ますやみその方からのご指名、依頼ではなかったという。

当時はまだ松田耕平氏が名実ともにオーナーで、わが子よりも可愛がり期待もしていたという衣笠さんを“球団の顔”として推薦したということなのだろうか。

言葉は悪いが、考えもしなかった“上玉”を起用できるチャンスに恵まれたますやみそ。しかしギャラは安くはないし、果たして企業イメージとしてどうなのか? 経営者は思わぬことで決断を迫られることになった。さぞや悩んだことだろう。

そして、衣笠さんの起用を決めた。

その反響は言うまでもない。かくいう僕も、あのコマーシャルによって「ますやみそ」を知ることになった。企業の認知度は飛躍的にアップしただろうし、売り上げだって伸びないはずがない。なんと言っても「カープの衣笠」だ。

きっと妬みもそねみもあったのだろう、経営者の耳には賛辞ばかりか、直接間接に批判や陰口が聞こえてきたという。

しかし、ますやみそは衣笠さんを起用しつづけた。そして、衣笠さんがチームどころか、プロ野球界の顔となっていくうちに、批判的な声は影を潜めていった。そして連続試合出場の日本記録、さらに世界記録を塗り替える頃には、文字通りに衣笠さんはますやみその“金看板”となっていた。

コツコツと試合に出つづけ、地道に積み上げていった衣笠さんの連続試合出場の記録。そのイメージは、いつかますやの味噌作りのイメージと重なっていった。それはまた、社員の意識高揚にもつながったことだろう。

「母さんの味、ますやみそ」

そのキャッチをお借りれば、“息子”の衣笠さんはとんでもない孝行息子になってくれたのだ。

ちなみに、衣笠さんが現役を引退して「カープの衣笠」ではなくなってからも、ますやみそは衣笠さんをずっとスポンサードしていたという。その関係は衣笠さんが亡くなるまでつづいた。

広告というドライでがさつな世界で、こんな麗しい関係を僕は他に知らない。両者はスポーサーと契約キャラクターの関係を超えて、文字通り家族も同然になっていたのだろう。

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