「なぜ?」が問いにくいヒロシマ

なぜ広島の空を

このところ、貪るようにヒロシマ関連の本を読んでいる。

戦後のGHQの表現の制約下で、ヒロシマがどのように語られていたのか、あるいは語れなかったのかに興味があってのことだ。

テニアン島から広島へと飛びたったB-29の飛行記録を追っているうちに、航路はしだいにアートシーンへとそれて、丸木位里・俊の「原爆の図」を再発見し、岡本太郎の「明日の神話」の壁画にぶちあたり、その隅の『描かれなかった隙間』から、突然、原爆ドームの上空に放り出されて、chim↑pomの「ピカッ」を浴びることになった。

「アートシーンで語られるヒロシマ」を検証する、という作業をこれまで意識的にしたことはなかったが、アートシーンが「語る」ヒロシマにこそ、現状への理解の深さと未来への可能性が秘められている、という手応えを感じている。

言語表現としてのヒロシマの閉鎖性と限界。
それは皮肉にも、chim↑pomが活字で「ピカッ」をアートしてしまったことで、表現そのものをなきものにされた事実によって露呈してしまった。

広島におけるヒロシマの言論空間は、おもいのほか硬直してしまっていることを、アートシーンから、広島の外から突きつけられた。

「言論として語られるヒロシマ」が活字として、語りとして空間制限に縛られるのとは対極に、アートはある。あの原爆ドームの上に際限のない青空が拡がっているように…。

あのとき「ピカッ」の眩しさに目が眩んで見落としてしまったメッセージを、あらためて汲みとる作業をしていくべきなのだろう。

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