ヒロシマの嘘
福島菊次郎著「ヒロシマの嘘」読了。
ある原稿を同名のタイトルで出版しようと考えていたので、先行の参考書のつもりで読んだのだったが、その不遜にしこたま打ちのめされてしまった。
ヒロシマの現場で、被爆者に対峙して、半世紀以上も報道カメラマンとしてレンズ越しに見つめてきた著者の表現は、言葉に変換してもずしりと重い。
そしてヒロシマを告発する舌鋒は痛烈だ。
本文から引用してみたい。
以下
年に一度だけ被爆者が脚光を浴びる八月六日が過ぎると、広島は次の日からまた札束と利権が渦巻く「平和都市」という名の砂上の楼閣を築いていった。多くの被爆者は年に一度、八月六日に「平和の聖者」にされるだけで、次第に平和都市の片隅に追い詰められていった。
「ちちをかえせ/ははをかえせ/としよりをかえせ/こどもをかえせ/わたしにつながる/にんげんをかえせ/にんげんの/にんげんのよのあるかぎり/くずれぬへいわを/へいわをかえせ」という痛烈な詩を峠三吉に詠ませたのも、原爆詩人・原民喜を自殺させたのも、日本の戦後と広島の虚構が、感性の鋭い詩人を絶望に追い込んだからだと言われている。彼の詩を刻んだ詩碑が何者かに倒されて壊された事件が起きたこともあった。
《過ちは/繰り返しませぬから》と刻んだ慰霊碑の言葉には主語がない、と批判する活動家や文化人も現れたが、ヒロシマ自体が主語を持たない虚構の平和都市だったのである。
平和都市・広島は虚構である。
一刀両断にヒロシマを斬って捨てる福島の確信は、戦後の日本が戦争責任をきちんと総括しなかったこと、そのためにヒロシマが被害者意識一辺倒のきれいごとに終始してきたことを目撃してきた悲憤からきている。廃墟からの復興が美化されるばかりで、それが朝鮮戦争の特需によってもたらされたことは語られることはない。
その間にも、被爆者は補償から見放され、行政から置き去りにされてきた。原爆による被害者である被爆者を救うことのない都市が、核兵器の廃絶を叫ぶ平和都市を騙ってきたアイロニーを印画紙に焼き付けてきた福島が、その営為を活字に転換してみせたのがこの書だ。
もう少し引用してみたい。
以下
(人体には執着しても、人間の尊厳や病苦や人生の苦悩には何の関心もない)法医学解剖が犯罪を厳正に裁くための行為であるのに対し、A B C Cの研究は原爆の被爆者をモルモットにしているという意味では、戦時中の「731部隊」の人体実験や、ナチスのアウシュビッツ残虐行為にも匹敵するものである。さらにその犯罪行為が被害国民である日本人所員の手で行われていることに、何とも言えない救いのなさを感じた。
しかもペンタゴンは放射能障害の死に至る克明なデータを収集研究するためにABCCに「原爆症の徹底的な研究のために被爆者の治療をしてはならない」と禁止(❋ママ)した内部通達まで出していたことが二〇〇二年に公表され、現在なお(2003年現在)一万八〇〇〇人が追跡調査対象になっていることもわかった。
この報道をより衝撃的なものにしたのは、ABCCの実態が明らかになったのに、国も反核団体も被爆者も一切反応せず、抗議する姿勢も示さなかったことである。
ヒロシマが告発しないこと、抵抗しないことに、福島は苛立ってもいたのだろう。その苛立ちは、ヒロシマへの期待の裏返しでもあったはずで、ヒロシマへの思いが強すぎたことの帰結として、落胆の淵に落とされた無念が文末の吐露となったのだろう。
かつて、ある平和集会に参加したおり、参加者が自由に発言できる機会が与えられて、市民や活動家などが次々にマイクの前に立っていった中に、突然ABCC職員だと名乗って発言をはじめた女性があった。
会場にいた参加者はもちろんABCCがどんな組織かは心得ている。したがって場違いな人間の登場に、その場の空気は凍りついたようになってしまった。
彼女は「みなさん、ABCCを誤解しています」と切り出すと、それから延々と言い訳めいた弁明を語ったが、誰も取り合うものはなかった。
ただ、彼女のABCCに対して抗議したり、研究の内容を詰問したりするものもいなかった。ただ白い眼で眺め、ヒソヒソと陰口を交わすだけだった。
福島のヒロシマに対する怒りは、あの時の光景の中にもあったのだ。
数年前、ある知人が「福島菊次郎さんと知り合えて、今度、お宅にお邪魔することになったのよ」と、うれしそうに語っていたのを想い出す。
たぶんその直後に福島は逝去しているので、きっと彼女の訪問は叶わなかったはずだ。
もし彼女が福島と知己にでもなったら、僕も紹介してもらおうとの下心もあったのだが、その願いも叶うことはなかった。
もしお会いできたら、と残念にも思うが、この著書が僕の貧しいヒロシマ観に何がしか化学変化をもたらしたことは否定できない。
その触媒となったのは、表紙の写真。さすが本職報道カメラマンと唸るしかなかった。
被爆の病苦を慰める飼い犬とのスナップ。そんな程度の理解で捉えていた我が感性の乏しさに愕然とさせられた一枚。
あの涙で光る瞳が、福島のヒロシマを見事に映し出していたのだ。