3月21日(火)
7時起床。
スピリチャル万葉集の作業。ずっとつづけてきて解釈が深まったというか、すこしズラせるようになってきた。それもありだろう。
昼前、古い女の人を診療所に送迎。コロナワクチン3回目の接種をされたらしい。
駐車場が満杯だったので、川を隔てた道に駐める。ちょうど目の前に桜が咲いていて、移動書斎の借景になった。
帰りは携帯で連絡予定だったが、充電を忘れていたらしい。たまたま玄関前が見えるところだったから、オロオロしているところを発見できて事なきを得た。
本人に確認を期待するこちらも悪いのだろうが、再々のことでそのたびに腹が立つ。
きょうは農園に出るのがためらわれるほど風が強く冷たかった。読書か畑仕事か迷ったが、畑仕事に軍配をあげた。
鳥よけの網を外したり、ネットにこびりついた蔦を剥がしたりの修景作業をしているうちに、あっという間に5時過ぎの就業時間がきてしまった。
それでも予定していた枝豆の種まきだけ慌ただしく済ませた。
夜は友人から進呈してもらった珍しいワインを飲みながら食事。食後も杯を重ねているうちに空になってしまった。
きのう、カープのレジェンドゲームがあった。ネットでその模様を後追いしてみたが、どこか虚ろな印象だった。
はたと気づいたが、そこに衣笠祥雄がいないのだった。かれの不在の寂しさをこれまでも折々に感じてきたが、これほどの喪失感を覚えたことはなかった。
山本浩二、高橋慶彦、江夏豊…。たしかにレジェンドたちが顔を揃えていた。しかしその空間が、どこか嘘くさく見えたのだ。
もしあの場所に衣笠祥雄がいれば…、ズムスタはまちがいなくもっと華やいだ雰囲気になっていたことだろう。
かれは祭りが似合う男だった。それは祭りの意味をよく理解し、それを伝えたい気持ちが強かったからだろう。
残念ながら体調不良で参加できなかった北別府学のユニフォームは黒田が掲げてくれていた。大野豊がそのユニフォームを着てマウンドにあがってもくれた。
同じように衣笠祥雄の「3」のユニフォームを、せめてあの場で掲げてほしかったと思うのは、身びいきにすぎるのだろうか。
追記
とはいえ、衣笠さんがそこまで望んだとも思えず、小早川毅彦が衣笠さんの思い出のグラブで出場していたのはメンバーを代表してのことだったのだろうし、スタンドのファンもかれを忍んで楽しんでもいたのだろう。