全身野球魂

カープ球団創設70年記念コラム「長谷川さんのこと」

長谷川氏・実家にて2

長谷川良平さんに初めてお会いしたのは、カープ球団創設50周年に「カープ猛者列伝 50」を出版した年。今から20年前のことです。

カープ猛者列伝 50は、カープ往年の名選手50人を選んで、そのプレイスタイルや現役時代のエポックなどを見開き4ページ前後で紹介する企画本でした。

この企画をカープ球団に持ち込んで「球団公認」を取ったのが1998年の10月前後だったと記憶します。
1999年のシーズン開幕前に発刊するためには執筆の時間は2か月足らず。ひとり一人の選手にアポとって取材している余裕もなく、過去の新聞記事や雑誌記事、あるいは関連書籍に当たって書き上げることにしました。

今ではウィキペディアで調べれば大概の選手のことは即座に調べられますが、当時は大変な作業でした。

書き上げた原稿は、ご住所がわかる限りご当人に郵送して確認してもらいました。
リアクションは様々で、衣笠さんのようにご丁寧に令状を送ってこられる方もいれば、版元に電話でOKをいってくる者、直しを書き込んで送り返してこられた几帳面な人物も。

そのうちひとりだけ、「会って直接話したい」と版元に電話してこられた方がいて、それが長谷川さんだったのです。

「長谷川さんが、お会いしたいって」
そう告げられたときは、正直固まりましたね。
今だったら、「ちょーヤベー!」そう叫んでいたかもしれません。(笑)

長谷川さんの解説はラジオやテレビで聴いていて、「妥協をゆるさない厳しい人」という印象でしたし、なんといってもカープの初代エースにして長老格。

その人物が、「直接会っていいたいことがある」というのです。
記事のどこが気に入らなかったのか。何かとんでもない勘違いをしていたのではないか…。
正直、戦々恐々でした。

指定されたのは全日空ホテル(現ANAクラウンプラザホテル広島)に午後1時。
版元に同行してもらってホテルの前庭の通路を歩いて行くと、窓際に御大が座っているのが見えて、肝が縮み上がったのを覚えています。

覚悟を決めてテーブルに着くと、意外に御大のご機嫌麗しく、ご立腹ではない様子。
「はて、どんなご要望なのか?」と畏まっていると、原稿のことはそっちのけで、いきなりの野球談義がはじまりました。

内容はすっかり忘れてしまいましたが、ありがちな自慢話に終始するでもなく、現役選手への苦言でもなく、聴いてて愉しい話ばかり。
いい話し相手が見つかったとばかり、長谷川さんはひたすら喋りつづけたものでした。

こちらは緊張しつつの謹聴でしたから、そのうちさすがに疲れてきたものの、「そろそろこのへんで…」と、席を立つわけにもいかず、とうとう夕食時間前まで付き合わされてしまいました。

長谷川さんの野球愛を、つくづく思いしらされたものでした。
そのときの印象もあって、後年長谷川さんの評伝を書かせてもらったとき、その小さなからだからほとばしりでる野球愛ということで「全身野球魂」にしたのです。



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