入谷コピー文庫
依頼されていた原稿をやっと仕上げて、夕方先方に郵送した。
「今日までに必着」が先方が示した締め切り。その日に送ったのだが「消印有効」で勘弁してもらおう。(笑)
原稿は「入谷コピー文庫」に掲載される。
たぶんご存知の方はいられないだろう。執筆者がプリントアウトした原稿をコピー製本して綴じた小冊子で、不定期で年に4、5回発行されているのではないだろうか。
発行部数は限定25部。そのほとんどが執筆陣の手元に行っているようだから、世間に認知されるおそれはない。
そのうち2、3回だろうか、編集をしている堀内恭さんから依頼がくる。原稿量はA4版両面。原稿料は謝礼の図書券だ。
ビジネスライクに考えたら、まずお受けする話ではない。しかし、堀内さんから原稿依頼の封書が送られてくると、迷わず執筆している。
入谷コピー文庫に掲載していただける。それがうれしく、また名誉にも思っているからだ。
今回のタイトルは『昭和のある日〜ア・デイ・イン・ザ・ライフ』。
「昭和が遠くなりましたが、昭和時代、あなたが忘れられない一日について綴ってもらうものです。」と、小ぶりで細い文字の職人的な筆致で説明があった。
そのすべてを読まない前から、もう書くことは決まった。
「三島由紀夫」のこと。彼が自決した日の、事件を知ったときの鮮明な記憶。それをヨスガに書いてみたい、と。
欄外には「広島カープのことでもOKです」とあった。
さすがにプロの編集者。あらかじめ原稿の内容、仕上がりが予想できるのだ。
しかし、今回はその期待は裏切らせてもらった。とはいえ、こちらもプロの物書きだ。三島の自決とカープの初優勝、このふたつで書き上げるサービス精神だけは忘れなかった。
昨日、あらためて封書を開けて締め切りを確認し、あわててきょう仕上げたという荒療治。その出来に満足はしてはいないが、それなりには仕上げたつもりだ。
これでまたひとつ、書きたかったネタで書けるチャンスを堀内さんからいただいた。いつも感謝しかない。
「コピー文庫!」
堀内家内工業発行という、この遊びごころ、この粋。
それを意気に感じて書かせてもらえるのは、また望外の喜びでもある。
その堀内さんとは、たった一度御茶ノ水駅前の喫茶店でお会いしたことがあるだけの間柄だ。
ぼくの球場巡礼を彼が読んでくれて、読書カードを送ってくれた。その職業欄の「編集者」にスケベ根性疼いて返信しての面会だったが、堀内さんは大病をした直後でアルコールはご法度。酒も飲まずコーヒー一杯だけでお別れした。
それが1990年代の終わりだったから、あれから20年余り、封書をいただいてはA4の原稿を2枚お送りするだけの関係がつづいている。
時折、年賀のやりとりとかで「いつかまとまった仕事を」と誘ってみることもあるが、今はこのコピー文庫でつながるだけの間柄もまんざらではないと思うようになっている。