無敵の「勝手に」主義。巻2
初めて本1冊分の原稿を書き上げてみたものの、さてどうしたら出版まで漕ぎ着けるか、その方法を知らない。
それなりの出版社にもちこんでみたところで、まずOKは出ないだろう。それくらいの見識は、さすがの私も持ち合わせていた。
そこで私は最後の切り札を切ることにした。
「自分の出版社から出版する」
ことにしたのだ。
コピーライターになったときの、「勝手になった」という成功体験を踏襲することにしたのだ。
広告制作プロダクションが倒産してフリーランスになった私は、屋号を文工舎とした。将来的には編集・出版に業務を移行しようという考えがあってのネーミングだった。
その将来が、とうとう来たのだ。
私は勝手に文工舎という出版社を立ち上げ、『「時代の気分」は、もう二日酔い。』を出版した。
そして勢い余って、「直川賞」という文学賞まで勝手に創設して、同著で同賞の初の受賞者となった。
芥川賞も直木賞も、元をただせば菊池寛が勝手に創設したものだろう。ならば私が賞を創設して、なんの不思議もない、そんな屁理屈からだった。
あとは世間が認めるかどうかだが、私は受賞記念パーティを勝手に開催して「世間が認めた」ことにした。
そして、そのレポートを「本の雑誌」社に送ることにした。
本の雑誌ならこのノリ、遊び心を受け止めてくれるのではないかと踏んだからだ。
その思惑はまんまと当たって、同誌の巻頭特集で『「時代の気分」は、もう二日酔い。』の直川賞受賞を紹介いただいた。
つまり、同賞「社会的に認知されたことになった」のだ。
(第2回以降の受賞者はいない。私のための賞だからだ・笑)
残念ながらベストセラーにはならなかった。
こっちの思惑は外れたわけだ。
販路もなく取り次ぎに口座ももたないにわか出版社。手近な書店に持ち込み掛け合っての販売で、千の部数の半分も流通させることができなかったのだ。
なるわけが、ない。
が、「いつか物書きになる」というわが信念には顔向けできることになったのだった。
まあ、あまりスマートな芸風とは言い難いし、誰にでもお薦めできる方法論ではない。
「何者かになる」には、世間が作ったルートを行くのが本筋だろう。
しかし、正面玄関から入れてもらえなければ、「こちらから失礼します」と勝手口からお邪魔したって構わないではないか。
まさに「勝手に」だ。
それを世間も止めやしないだろう。
それこそ「ご勝手に!」だ。
ちなみに8年前の今日、Facebookにこんな投稿をしていたらしい。
「衣笠祥雄はなぜ監督になれないのか?」おかげさまで「たちまち」から「大反響!」に昇格して4刷出来!! ありがとうございます。
『「時代の気分」は、もう二日酔い。』の出版で勝手に物書きになった私は、それから20年近くの雌伏を経て、自称ベストセラー作家になっていた。