佐々岡監督〝謎采配〟のわけ
「試合前から決めていた」
カープ佐々岡監督がこのところよく口にするこのコメントを反芻してみて、ようやくモヤモヤしていた霧が晴れたというか、ザラついた不快感が解消されたような気がする。
といっても、清々しい気分になったわけではない。
ファンの感覚、あえていえば一般的な野球観と佐々岡監督が繰り出す采配とのズレ。それにずっと私も苛立ってきたのだが、そのシコリがとれただけのことなのだが…。
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昨日のカープ対ドラゴンズ戦。
3対3の同点で迎えた9回裏。カープは守護神の栗林投手を温存して菊池保投手をマウンドに送った。
その理由を問われて佐々岡監督は、つぎののようにコメントしたと中国新聞は報じている。
「セーブがつく状況以外では(栗林投手は)使わないことは、(中略)試合前から決めていた」
先週の対ヤクルト戦における鈴木選手の謎の交代の際にも、たしか同じようにコメントしていた。
「(鈴木が出塁したら代走を出すことは)試合前から決めていた」
その結果「つぎの回にチャンスでまわってくるかもしない」にもかかわらず、いい方を変えれば「一般的には、あのケースで4番を交代させることは疑問だった」にもかかわらず、試合前に決めていたという理由でベンチに引っ込めたと。
今回は、このふたつのケースの是非を蒸し返すのは控えたい。
それ以前に、試合前に選手の起用法や采配を決めて、それを粛々と実行することの意味を考えてみたい。
ファンの感覚からすればつぎはこうだろうと期待し予想する局面で、佐々岡監督は「試合前から決めていた」作戦や起用法を繰り出していた。それがためにファンの感覚(一般的な野球観)とはズレた状況が局面ごとに生起し、そのたびにファンは釈然としない思いをし、かつ怒りを覚えてきた、そういうことだったのだ。
「何のこっちゃ」である。
試合が始まる前から、すでにファンの感覚からすれば想定外のギクシャクは約束されていたというわけだ。
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以前から抱いていた、ひとつの疑問があった。
佐々岡監督は試合中に遠い目をして一点を呆然と見つめたまま、グラウンドで繰り広げられている攻防に無関心なように見える。それで果たしてゲームの展開に応じた指揮がとれるのか…、と。
その疑問も、これで氷解した。
たしかに〝佐々岡流監督術〟なら試合展開を注視する必要はない。その局面になったら(あるいはならなくても)試合前から決めていたことを粛々と実行する、それですんでしまうのだから。
野球というゲームは生き物だ。回を重ねるごとに刻々と変化し劇的に優劣が入れ変わる。その〝野球的な流れ〟にどう対処しピンチを回避するか、あるいはチャンスを拡大するか、その判断力と対応能力が指揮官に必要な最大にして最低限の資質というものだろう。
ピンチには様々なケースがあり、チャンスにも多様な状況がある。したがって、その局面局面で求められる選択肢は多種多様だ。
そんなピンチやチャンスの場面で、「試合前から決めていた」作戦や選手起用法を持ち出されたのでは、野球の流れに水を差してしまうことは明らかだ。野球の神様でもない限り、その対応を事前に決めておくことなどできるはずもない。
野球というゲームをゲームたらしめているのは、この「流れ」といっても過言ではない。その本質をわきまず「試合前から決めたこと」を杓子定規に行使しているのだとすれば、「監督不適格」をみずから公言しているも等しいのではないだろうか。
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カープがもし最下位になれば自動的に監督は辞任もしくは解任されて、新監督が誕生すると期待するファンも少なくないようだ。
通例であれぱ、ファンがどう思おうと知ったことかと、早々とオーナーの口から続投宣言が出ているはずで、それがないところをみると交代は視野に入っているとも考えられる。
だが、はたしてそんな流れになるだろうか…。
「試合前から決めていた」
佐々岡監督がこにきてもまだ、空気も読まないかのようにこんな強弁ができているところをみると、続投は内々に耳打ちされているようにも思うのだが…
❋冒頭の写真はイメージです。内容とはとくに関係はありません。