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悼みへの感謝
ようやくゴール手前まで来たか、というのが実感だ。
明日が衣笠祥雄氏の四十九日。その喪中に弔意を表するために毎日コラムを一編ずつ書こうと思い立ってはじめた“追善供養”も、明日が最終日。野球でいえば引退の日だ。
ずっと自己記録を更新中だった「衣笠祥雄氏追悼コラム」。
これだけ衣笠さんのことを書きつづけたコラムはたぶんないだろうから、衣笠さんの連続試合出場にあやかって世界記録ということにしてほしい。
もしこのコラムをずっと読んでいてくれた方がいたら、その忍耐力に敬意を表するとともに、衣笠さんになり代わってお礼をいいたいと思う。
まだ終わったわけではないが、振り返ってみれば、この49日というのは不思議な時間感覚だった。
みずからに課した行為の日々が苦痛というのではなく、かといって楽勝だったわけでもなく、また停滞しているというのでもない。
たぶん死者たちが、この世でもないあの世でもない中有にあるときも、こんな感覚なのだろう。ただそこにある、という自覚だけ。
だから責務という重い気持ちもなかったし、何がしかのことを成し遂げたという達成感に酔っているわけでもない。
「安堵」というのが一番近いだろうか。
とにかく明日には、結願となる。
この営為にどれほどの意味があったのかはわからない。
しかし、何がしかの作用となって、衣笠さんの御霊への追善になることを心から願っている。