キャンプインの空気感
プロ野球は今日からキャンプイン。
われらがカープは例年のように日南の天福球場、および東光寺球場で のスタートを切りました。
以前もどこかに書いたような気もしますが、毎年、キャンプインを前にすると、胸がザワワとするというか、落ち着かない気分になるものです。
「今年は行けるか、行けぬのか?」
気持もそぞろ、飯もロクに喉を通らない、は少し大げさですが、いつも悩ませてもらってます。(笑)
結局、今年も断念しました。
行くとすれば、天福はもちろん、宮崎周辺でキャンプする他球団も含めて行程は1週間から10日は欲しいところ。
“時間だけ富豪”を自認する私ですが、さすがにそれだけの日程を工面するのは簡単ではありませんのです。
カープのここ数年のチケット入手難で、ズムスタに行く機会も意欲も減退してきているわけですが、もともとが公式戦観戦するよりもキャンプ見学の方が興味はまさって、今年はすでに半分シーズンは終わってしまった気分です。
初めて日南にカープのキャンプを見学しに行ったのは1999年でしたか、ルーキーの新井貴浩選手が守備練習で、ギッコンバッタンやってたのをよく覚えています。
「お前らは、駄馬じゃ!」
栗原健太選手とふたり、永田コーチからさんざんにいわれてましたね。😂
あと印象深かったキャンプは、2013年。鈴木誠也選手がルーキーの年で、内野ノックでショートに入っていた彼の身のこなしに驚かされたものです。
並みいる先輩にも引けを取らないどころか、からだのキレとスピードは群を抜いていましたから。
「あんな野手、いたっけ?」
まだ名前も知りませんでしたから、球場で配布していた選手名簿でその背番号を探したものでした。
あの年は、「天国から来たストッパー!」の取材が目的で、首脳陣や選手たちがグラウンドに現れてくる様子に、優勝への期待感を表現してみたいと目論んでいたのです。
そして、そのときの取材をもとに書いた冒頭部分が、以下の文章です。
2月上旬。宮崎県日南市の天福球場。
早春の朝のこわばった冷気を南国の陽射しがゆっくりと溶かしはじめた。上空を舞う風が、ときおり紺地に「H」に染めぬかれたカープの球団旗を気まぐれに揺らしている。
2013年、広島東洋カープの春季日南キャンプが始動してから数日がたっていた。グラウンドでは、白いユニフォーム姿の選手の一群がランニングをしていた。彼らの吐く白い息と大気とが、いま一体となってほぐれようとしている。そんな心地よい光景が眼前にひろがっていた。
統括トレーナーの富永は、年老いた哲学者が散策でもしているように、後ろ手に腕を組んで歩いていた。どこか儀式めいた調子といったらいいだろうか。彼は毎朝、こうしてグラウンドになにか異物が落ちていないか、移動式のネットにほつれや破れがないか、練習用具に異常はないかを見てまわっている。たまに小さな石くれでもころがっていると、パンツの尻ポケットにおさめて持ち帰るのだった。
グラウンドキーパーがつねに手を入れているグラウンドに、めったなことはない。作業とすれば徒労といってもいいことだ。だが、そんな物理的な成果よりも、気持ちを大切にしたいのだろう、彼は歩を進めるごとに、きょうも一日選手にケガがないように、いいキャンプで終わるように、そして22年ぶりの優勝がかなうように、そう念じていた。
その日も一塁側の外野の端に、めくれあがったような芝を見つけた富永は、スパイクで圧しならしてから、グラウンドキーパーを呼んで処置をたのんだばかりだった。
「富永さん、きょうも早いですね」
グラウンドを一周して帰った富永に、声をかけたものがいた。共同スポーツの大西だった。
スタンドを見あげた富永が相好をくずして、ちいさく手をあげた。 「そういう君も、たいへんだね。毎朝早いじゃないか」
「ぼくはテンポがのろいので、みんなといっしょのペースで取材してたんじゃ取り残されちゃうんですよ」
「どうしてどうして、ご謙遜を。いつも読んでたよ、松井の記事。いいよね、きみの記事は人間が描かれていて」
大西は昨年まで大リーグ担当で、おもに松井秀喜を追っていた。そして松井の引退にともなって、日本にもどされカープに配属された。共同スポーツには松本というカープ番がいるので、大西は遊軍のような存在らしかった。
「そうですか、富永さんにそういってもらえるとうれしいですね、お世辞でも」
「お世辞なもんか。本気のストレートだよ。ほかの記者とは視点がちがってて、おもしろいんだ」
「でも富永さんの現場復帰には驚かされましたよ。向こうにいるとき、もう引退されたと聞いてましたから」
長くカープのトレーナー部長をつとめた富永は、定年になってからもしばらく現場に残っていた。しかし監督がマーティ・ブラウンから野田謙一にかわったのを機会に退団していた。
「どういう風の吹きまわしかね。もう現場じゃやっかいものだろうけど、なにか力になりたくてね。まあ最後のご奉公だよ」
「でも無理なさらずに。トレーナーが倒れちゃ、シャレにならんですよ」「ありがとう。この老体はともかく、チームをしっかり応援してやってよね」
富永がトレーナー室に向うためにグラウンドから消えたのと入れかわるように、白いユニフォームに赤いウィンドブレーカーを着こんだ首脳陣がひとり、またひとりとダッグアウトからあらわれた。ようやく、きょうの全体練習がはじまろうとしていた。グラウンドに緊張感と高揚感とが漂ってきた。
ずんぐりとしたからだを外野に運んでいるのは、ヘッドコーチの夏木穣だ。ドスのきいた歩きというのだろうか、出入りにいく侠客のようにあたりに緊張感をふりまきながら選手たちの群れに向かって行く。そのあとを跳ねるような身のこなしで追いていくのは野手総合コーチの高崎義彦だ。
—走れ、タカサキ!
そう声をかけられたら、いまにも走りだしそうな衝動をかろうじて封印しているかのように、高崎はユニフォームの下にエネルギーを秘めていた。
高崎のあとにつづいているのは、バッテリーコーチで復帰した田地川満男だった。ふたりはダイエー・ホークスの王監督のもとでコーチをしていた時代、選手の起用法で意見が合わずダッグアウトで取っ組み合いのケンカをしたことがあった。しかし、いまはそんな過去は水に流して、いい距離感でタッグを組んでいるようだ。
田地川と並ぶように談笑しているのは小野田穣投手コーチだ。現役時代バッテリーを組んで数々の修羅場をくぐってきたふたりの間には、緊密な空気が流れているように感じられた。
しばらくして、監督の衣澤幸雄が姿をあらわした。敏捷さをひめたバネのきいた歩みは現役時代と変わらない。彼が歩を進めるたびに、グラウンドに活気がたちあがってくるようだった。衣澤監督以下、ほとんどのスタッフが入れかわったカープ首脳陣。彼らの存在をスタンドから眺めているだけで、大西には期待感をおさえることができなかった。
久々に読み返してたら、またまたあの空気感にのんびりとひたりたくなってしまいました。
とはいえ、このところのカープ人気で、キャンプもおちおち見学してられなくなってきましたが…。
ちなみに上の写真は改修前、2000年の天福球場です。
あの頃は駐車場への入口に文化住宅が軒を連ねていたり、庶民的というか地味で素朴な球場でしたね。