爆心に描かれたピースマーク?

爆心の飛行機雲

上の写真中央のビルの裏路地に島病院がある。

昭和20年8月6日の午前8時15分前後に、その約600メートル上空でアメリカ軍のB-29が投下した原子爆弾「リトルボーイ」が爆発し、広島はほぼ全壊。一瞬にして10万人ともいわれる市民が被爆死した。

この爆心地から飛行機雲でピースマークを描いたら、こんな景色になったのだろうか。(最後に飛行機が大きく円軌道で旋回したら完成だ)

原爆ドームの上空にChim↑Pomが飛行機雲で「ピカッ」を描いて怒涛のような非難と批判の嵐に見舞われたとき、「平和」とか「反核」のようなメッセージにすれば歓迎されたのに、というしごく真っ当そうなご意見が新聞紙上に紹介されていた。

その記事を先日あらためて読みおして憶い出したのがこの写真。被爆60年の2005年5月21日に平和公園側から撮影したものだ。(Chim↑Pomの実行日は2008年10月21日だったから、偶然にも同じ日にちだ)

この数年前から、暇をみては平和公園周辺を歩き回ってマメにシャッターを押すような生活をしていた。
当初からそう決めていたのか、撮影しているうちにそうなったのか、「平和をアピールする」カットを拾うのではなく、「被爆死した魂を慰霊する」祈りを記録するためだった。
そして、その記録を小冊子にする。それが、僕なりの『被爆60年プロジェクト』だった。

上の写真は自転車で本通り方面に走っていたとき、突然目の前にあらわれたのを、慌てて自転車から跳び降りて往来の中央から撮影した。

Chim↑Pomのように身銭をはたいて飛行機をチャーターし、企図して描いたものではない。偶然目にした光景を、その構図に見立ててちゃっかりとフレームに定着させただけだ。

この安易さ。自分では嫌いではないのだが、惜しむらくは根性足らずで説得力に欠ける。僭越にもChim↑Pomの「ピカッ」に比べれば、ドームの先端どころか足元にも及ばない。

それでも、飛行機雲をピースマークに見立てるという行為は、わが企図した祈りにはちがいない。「念じてそうした」のだから。

この写真は小冊子『ヒロシマより愛をこめて』のエンディングを飾ることになった。ピースマークにも見えた飛行機雲の広がりが、了として死を受け入れた死者たちの魂からのメッセージ、「さようなら」のサインにも見えたからだ。





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