“野球文化”の匂い
東京野球ブックフェアに参加するようになって何年になるのだろうか。
衣笠祥雄氏の連続試合出場ではないが、毎年参加しているからこちらも連続試合出場だ。というよりイレギュラーな回もすべて参加しているから“フルイニング連続出場”になる。
広島から東京まで、深夜バスあるいは青春18きっぷで鈍行乗り継いでわざわざ出かけて行って、大風呂敷ならぬ拙著を広げての行商。まあ本人好きでやらせていただいているのだし、これが口実で上京できるわけでまんざらではないのだが、そろそろその酔狂ぶりに敬意を表して表彰でもしてもらいたいものだ(笑)。
それはともかく、このブックフェアは『文系野球の祭典』。
野球本を売りたい版元はもちろんライターも数多く参加する。そこには好漢、碩学、個性的なメンバーが集まっていて、このメンバーたちと何かできないものかといつも思っていた。
それで何年か前に彼らを講師陣に招くことを想定して『野球文化大学』というのを立ち上げた。想定していた方々には、随時、教授に名を連ねていただいたし、これからも折にふれて増員していくつもりだ。
しばらくは名前だけの大学だったが、まず広島で「カープ学講座」をはじめた。
カープ初優勝の立役者になったリリーバーの渡辺弘基投手が第1回の講師で、以来、20勝投手の高橋里志氏など、どちらかというとマニアックな路線でこれまでに8回開講している。
教授陣に名を連ねていただいた面々のベースは、ほとんどが東京だ。ところが東京での講座はなかなか開催できず、彼らには名前をお借りしているだけという申し訳ない状況がつづいていた。
ようやく去年から、東京集中講座が開催できるようになって、いよいよ野球文化大学も本格的に始動してきたという実感がある。
この野球文化大学、今のところ言い出しっぺの僕が学長代理をつとめている。
なぜ代理かというと、人格的に学長にはふさわしくないからだが、「学長」を名乗ることでこの企画そのものがベタになってしまって、いわゆる一般的な大学と捉えられかねないという理由もあった。
それともうひとつ、いずれ大学がそれなりのものになった暁には、正式に学長なり名誉学長をお招びしたい、そう思っていたからだ。
そしてその候補者こそ、衣笠祥雄氏だったのだ。
衣笠さんは“文系野球”のシンボルとしてもっとも似合う方だったし、僕の頭には彼しかなかった。
前回も書いたように、衣笠さんには僕たちのドリームフィールドで開催していた草野球甲子園大会の名誉会長になっていただいた。衣笠さんは、老若男女誰でも参加できるこの大会をいたく気に入ってくれていたようで、ドリームフィールドのメンバーで構成する草野球チーム『コーンズ』を率いて、全国を回って野球の面白さを伝道したいとおっしゃっていたほどだった。
とにかく野球を愛し、野球に恩返ししたいという思いの強い衣笠さんだった。その“野球愛”をくすぐるように、野球文化大学の趣旨を説明すれば、もしかして学長就任を引き受けてもらえるのではないかという思惑もあった。
ところが大学の体裁云々の前に、衣笠さんの体調がすぐれないらしいという情報が入ってきた。それで学長就任のお願いは、衣笠さんの回復待ちということになった。
そして、ついにその機会は永遠に奪われてしまった。
体裁云々なんて気取ってないで、すぐにもご相談しておくんだった。そんな後悔がある。
いまの教授陣が、この大学の遊び心に共感してくれたように、衣笠さんも笑って快諾してくれたかもしれないではないか。
結果、回復されることはなかったにしても…
『野球文化大学名誉学長』の肩書きが、もしかしたら永遠の旅立ちの餞けにも、三途の川の渡航駄賃六文銭の足しにもなったのではないか、そんなことを思ったりもするのだ。