9日目・巡礼と追善と
10月25日。
ひと夜の宿を提供してくれた向ケ丘遊園のMの家を午前9時前に出て、お泊まりの駐車料金1300円を札一枚と小銭300円で払って、いざ湯河原へ。
今晩は温泉宿で亡友を偲んでの追善宴会が予定されているのだ。
きのう一緒に墓参してMの家で宴会をしたFは、千葉の自宅に帰っていて、あらためて鉄路での移動。午後4時過ぎに湯河原駅に到着すると携帯にメッセージが入っていて、その時間にピックアップして宿に向かうことになった。
湯河原の着時間には、たっぷり時間がある。
「途中に平塚球場があるよ」
球場を巡礼しているのを知っているMが、見送りがてら教えてくれて、9日目の「9」に引っ掛けた訳ではないが、一時、旅の趣旨を「亡友の追善旅行」から「球場巡礼」に変更して平塚球場に参拝することにした。
平塚球場は国道1号線を西に向かった茅ヶ崎の先。東海道線の鉄路でいえばその手前が辻堂で、その駅の近くに亡友のYが住んでいたことがあった。
初めは結婚したと同時に借りたアパートで、社会人になってハマったサーフィンのベースにするためだった。
数年してYはパリ駐在となって日本を離れ、それからメキシコ、アメリカと15年ほど海外生活を送った。
日本に帰ると、また辻堂駅近くに居を借りたが、その時は離婚して独り身となっていた。
パリ時代に現地のフランス人とただならぬ仲となって、「自分が責任を持って育てる」とねだられて子供までもうけていた。
一時はその彼女と所帯を持つことも考えて、そのアパートに呼び寄せたが致命的な溝が存在したのかほぼ絶縁。それ以降は彼女のことについては言葉濁すようになった。
ただ、唯一血を分けた子供となった息子は溺愛していて、小さいときから再々日本に呼び寄せていたし、後年はソルボナヌ大学を出た彼を早稲田の修士課程に通わせてもいた。
二度目の辻堂生活では、すでにサーフィン熱も冷めていて、滅多に海に入ることはなかったが釣りが孤独の慰めになっていたらしい。
やつが住んだアパートは海岸から国道を渡り、線路を過ぎて山側に少し入ったところにあって、遊びに行けばよく海に出て、ふたりで散策をしたものだった。
そのときの記憶をよすがに、そのアパートを見納めておこうとひらめいたが、車上からは記憶にある通路を見つけることができないまま通り過ぎてしまった。
そのうち平塚に入って、携帯のナビが国道を右折せよ、と告げた。
何軒かの住宅といくつかの商店を過ぎて左折すると、大きな公園らしき緑が眼前に広がって、そこが平塚公園。その一角に平塚球場はあった。
そういえば今日は土曜日。折良く公式戦が行われていて、聞けば首都大学リーグの独協大と東京経済大学の試合がはじ丸ところだった。
東京経済大学といえば、亡友の兄貴の出身校。これも何かの縁と無理やりこじつけて、しばし観戦してみようとゲート横のデスクに横並びの学ラン3人にチケット頼めば、コロナ禍で一般は入れないという。
この春から騒動となっていたコロナ禍でも、普段から家に閉じこもっているような生活、ほとんど変化を意識したことはなかったのだが、世の中がその影響を被っていることを期せずして思い知らされることになった。
仕方なく外野フェンスの前に腰を下ろし、車から持参した昨日の余りのメロンブロックを広げて金網越しにゲームを観戦。いわゆる盗み見で、ある種の快感はあったものの、惨めさがまさって早々に席を立った。
それでも一応は巡礼のお約束。球場は一周してみることにしたが、観戦もできず、この球場の成り立ちも歴史も知らず、ユニークなブロンズ像に興味そそられたほかに何の感慨もわくことはなかった。
球場を離れて駐車場に帰る前に、広場の芝生で横になって休むことにした。ホテルのベットに休んでも、友の家に一宿しても旅の疲れは日々に蓄積していて芯のだるさがとれないのだ。
芝生の傾斜に横になってはみたが、陽光がまぶしすぎていたたまれず、ここもそそくさと立退くことにした。
旅の時間の中で、本気でくつろげる場所を見つけるのは難しい。
駐車場にもどると、またも空腹感が襲ってきた。
まだ11時を過ぎたばかり。朝は友の食卓で、手作りパンとサラダでしっかり腹ごしらえしてきたのだが。
疲れと食欲のこのアンバランス!
走行中に最初に見つけたラーメン屋に入って、脂ギトギトか激辛のラーメンを食べることに決めて車を走らせていたが、いっこうにそれらしき店は現れない。沿線にそれらしき雰囲気がまったくないのだ。
それで希望ランクを一つ下げて、外食チェーンでうどんでもすすることにした。
その作戦は見事に当たって、「なか卯」の看板がすぐに目に入った。吉野家以外に、このテの店に入ったことはなかっが、まずまずとの評判は聞いていたから、さっそく「なか卯」デビューすることにした。
チケット販売機の扱いがわかり難く、何度かパネルをタッチしているうち、何度もでてくる「鶏塩うどん」にしたが、それをどこにどうすればいいのかも不案内で、店内をウロウロするうち空腹が立腹となって、「ここには、もう二度と来んど」と頭のなかで叫んだが、うどん出てきて一本すすった途端に前言撤回。
何と、ラーメンで補給しようとしていたニンニクがたっぷりのスープ。そして、シコシコ麺が悪くないのだ。
完食して箸を置くときには、また機会があればどこかで食べちゃろ、と改心したのであった。(笑)
食足りたところで、いくらか雑事をこなす気になって、車もどるナビを検索してコメダ珈琲店に寄って、パソコンの充電をしつつ撮影した写真ほかのデータを整理することにした。
私め、車旅の車休めはコメダに決めているのだ。
なぜかというに、コメダは全国いたる所にあって、環境やサービスが統一されていてハズレがないからだ。
車中泊の翌朝は、真っ先にコメダを探して電源借りてパソコン作業をするのがルーティンのようになっている。
なんといっても、席がゆったりしていて気兼ねなく作業ができるのがいい。
なか卯を出てしばらく走ると、すぐにナビご指定のコメダ珈琲店南鴨宮店に到着。店を変えての食後のデザートとあいなった。
ここでは個室が空いていたので、スタッフに了解を得て占有させてもらうことにした。
疲れ癒すため、失礼ながら靴を脱いでシートに胡座をかいて寛がせてもらうことにした。
ここはスペースの効率利用が露骨なカフェチェーンの息苦しさとは、まったく趣を異にしていて、何とも心地いいのだ。
コーヒーはこれまでの道中で飲み飽きていたので、ドリンクは紅茶。デザートはクロネージュ。
計千円とお値段は張ったが、小銭で済ませるものに躊躇はない。
ここでまったりと湯河原までの時間調整をして、湯河原駅に着いたのは約束の5分ほど前。そして約束に5分ほど遅れて駅前に現れたFを乗せて、温泉地にある宿へと向かった。
宿は古びた旅館で、到着したとき先客のランドクルーザーが、でかい図体の置き場に困って宿のおばさんに誘導してもらっていた。
運転席から出てきたのは想像通りのスカした男で、案の定女連れだった。
つい、いらぬ想像をしてしまったのは、大きなお世話だったろう。
そもそも、こんな宿にジムニーでオヤジ連れて。くる方がおかしいのだ。
なにはともあれ、風呂は24時間入り放題。露天、家族、岩風呂と5つある風呂のそれぞれが個室使用で、飯の前に露天風呂に入ろうとしてドアを開けた瞬間、ダチときたことを後悔した。
食事の刺身盛りほか、すべては食べられず、飲んだのもビール2本と隠して持ち込んだ五合瓶の日本酒1本。
もう若くはない野郎ふたりの宴会が盛り上がるはずもなく、しかもこっちは疲労もあって、亡友への追善だけは済ませたと早々に床についた。
この日の小銭買い
駐車料金 300円
鶏塩うどん 490円
喫茶 1000円
計 1790円
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