「ノーモア・ヒロシマズ」のプレート

ドジャース来広記事

1956年(昭和31年)11月1日。
メジャーリークのドジャースが広島の県営球場でオール関西チームと対戦していた。

広島市民球場に、同球団からのプレートがあることは知っていたが、それがこの来広時に贈られていたのを、当時の新聞記事で確認した。

プレートは「ノーモア・ヒロシマズ」と刻まれたもの。翌年に建設が計画されていた広島市民球場に設置して永遠に残して欲しいと球団のオマリー会長らが贈呈したものだ。

このときのチームには、黒人初のメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンが帯同していたのが象徴的とも言えるだろう。オマリー家の博愛主義、人道主義が背景にあったのだろう、あの時代に正面切って原爆投下を謝罪したわけではないにしても、間接的に贖罪したような英断には胸打たれるものがある。

検閲によって隠蔽され洗脳されて歪められてしまった「ヒロシマ」。それを小説仕立てにしたものをいま書いているが、謎か解かれるきっかけとなるものが見つからずに苦慮していた。
そのエンディングにいたる扉を、このプレートが開いてくれそうだ。


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