勉強アプリの弱点
最近、中学生くらい向けの勉強アプリを入れて時間がある時やっているが結構楽しい。
ちょっとした硬派なクイズみたいな楽しさ。頭を耕す感じ。
ただ、どのアプリも間違った時のフォローは弱い気がする。自分で立ち止まって調べたり考えたりして理解しようとしないと、定着せず同じ間違いを繰り返してしまうのだ。
正解は一つでも間違い方は十人十色
直接の原因は、間違った後に表示されるものが、正しい回答と簡単な説明だけだからの様に思う。中には簡単すぎて、なんで間違えたのか、どこが間違えたのかしばらく考えないとわからない様な問題もある。(結構多い)
だがまあ、正解は一つでも間違え方は十人十色、人それぞれ。
考えられるあらゆる間違えルートに合わせた解説データを用意したり、間違え方を分析してその人に合った解説を表示させる最適化をしたり、必要に応じてその人の弱い部分に合わせた問題を出して復習する機能なんかを盛り込んだら、上記のような不満は感じないんだろうけど、膨大な人的時間的経済的コストがかかり、広告表示ぐらいの無料アプリ形式ではとても提供出来ないだろう。有料アプリでも難しいのではないだろうか。
例えばこんな間違いフォロー
例えば、いわゆるピタゴラスの定理を使う問題を間違えた時、ピタゴラスの定理そのものの証明の仕方や、測量などの、現場で使われてる実際の使われ方の説明まで出てきたら、個人的には何時間でもハマってしまう様に思う。
あるいは、英語の穴埋め問題で、間違えた時、間違って使ってしまった単語を、まともに使う場合はどう使えば良くてその時はどんな意味、ニュアンスになるか、とか、正しい答えの別な表現の仕方とか、単語問題ならそれぞれの単語の語源や由来が表示されたら、ずっと読んでしまいそう。
しかし、無いものはまあ仕方がない。
自分で自分の「興味」を探る作業
思うに、勉強とは知識を記憶し思考能力を訓練するだけの作業でなく、それを通して「私はどうやって世界を理解するのか」を知る作業でもあるのが、こういうアプリだとなかなかそこまで組み込めないということなんだろうと思う。
自分で自分の「興味」を探る作業。
そういう視点を持って、子供の頃に戻って学校生活をやり直せたらどんなに幸せだったろうか。こういう感覚で子どもたちを勉強に取り組まさることが出来たら…と思う。
が、
この感覚、現実に勉強に追われる子どもたちにとっては、ブルジョワが家庭菜園やって農業って素晴らしいとか宣ってる様なものにしか感じられないんじゃなかろうか、と思う。
…まあ、私が現役なら絶対そう感じたろうと思う。
まあ、折りに触れ、「知的な遊びと勉強との境界線は曖昧だ」ということを刷り込んでいくしかないんだろな。
ちなみに、勉強アプリの成績はおおよそ8割位。物によっては6割切る。
かなり忘れてる。
子供時代なら「もっと勉強しなさい!」と怒られるレベル。
大人でよかった。