精力剤を試してみた

発端、そして購入

これまでこの手のものは使ったことがない。
二十代の頃、栄養ドリンクを多用したけれど当時は全然効いた実感が沸かなかったため、それ以来この手のものを信用しなくなったからだ。
気が変わったのは、ここ数年で頓に心身の衰えを感じていた事と、少し前に“ドン・キホーテで購入した精力剤が無茶苦茶効いた”という体験談のツィートがバズってるのをTwitterで見掛けたからだ。

「そう言えば、うちの近所にもドン・キホーテがあったな。よし、行ってみよう。」まで数日。

「あのツィートの商品は無かったけど他にもいくつかあったし、せっかくその気になったのだからこの際どれか試してみよう。」までさらに数日かかりつつ、買ったのは株式会社ユーワが製造、株式会社三供堂漢方が販売してる「AL/絶倫帝王48粒」。

理由は1回当りの単価が一番安かったから。
我ながらビンボウ臭い。でも元々が信用してないので失敗しても良いように…という気持ちが有ったのも大きい。
(1回辺りって書くとなんかひどく生々しいが、あくまで飲む回数あたりの単価ということです。)

レジに持って行くのにも、店員にいろいろ想像されるかも、内心笑われるかも等々、かなり躊躇したが、「ええい、どうせこの店員は私のことなんか知らないし、こんな客を五万と見てるはずだ。」と自分に言い聞かせ、思い切って購入。

実験開始

さて買って帰ったは良いがどう飲んだら良いのだろう。
帰って見てみれば医薬品ではなくサプリメントで、用法は「1日4粒を目安に」としか書いてない。
まあ2粒くらいずつ分けて飲めば副作用とか有ってもそこまでひどくならないだろう、なんとも無かったらさらに2粒飲んでみようと考えた。

2粒を飲んだのは昼下がり。
その日は夜に武術の習い事の稽古があった。
その稽古場で、最初に効果を実感した。
と言っても稽古中にあれがあれしてあれあれなことになったわけではない。

視界が広いのだ。
そして、くっきりはっきりしている。
私は近視&乱視で最近老眼も入ってきたせいか、眼鏡越しの一枚膜を隔ててフレーム内の狭い世界か、メガネを外したぼやけた世界しか見ていないのだが、その時は、メガネを通して広くくっきりした世界が広がっていたのだ。
家の中では気が付かなかったのだが、稽古会場が体育館だったので余計そう感じたらしい。
昔見た「Cold Fever」という映画の序盤で、スタンダードサイズでモノクロの画面が、シネスコサイズでカラーの画面に切り替わるシーンがあるのだが、あんな感じ。

しかも身体が微妙に軽い。
いつもはやや重い体を振り回すようにしながらでないと動かない部分があるのだけど、スムーズに動く。
軽快という程ではないけれど、錆びた車軸にオイルを注したみたいなスムーズさ。
これは素敵だ
しかも、今まで上手くやれなかった技がスルッと出来たりもしたもんで、益々楽しい。

終わった後、家に帰る時も楽しい稽古であるほど、ズシンと疲れが来るものなのだが今日は無い。すごいぞ。

家に帰ってもう2粒も飲んでみた。
それなりに効果があった精力剤を、寝る前に更に飲み足し。
これはもしかしてすごいことになるのではないだろうか。

しかし、

期待と不安を裏切り、稽古の疲れでとくに悩むこともなくすんなり就寝。
あれがあれして夜も眠れぬ状態にはならなかった。残念。

反動

翌日はお休みでしたが、比較的爽快な目覚め。
悶々とすることもなかった一抹の寂しさを感じつつ、せっかくだから台本でも書こうとPCを立ち上げカタカタと操作すること数時間。
10時半位に急速な眠気を感じる。
少し昼寝しようと寝室に行き眠り始めて目が覚めたのは16時半。
8時間も昼寝してしまった。

しかも起きてからなんとなく調子悪い。
特に精神的に、その、さびしいというか、むなしいというか。
最近好きで聞いてる米津玄師の「パプリカ」を聞く。
子どもたちへの応援歌として作曲されたというこの曲を聞いても、明るさとか楽しさより、「ああ、こんな夏の日は、私はもう失ってしまったんだなあ。二度とこういう日には戻れないんだなあ。」みたいなところに心が行く。
完全に鬱だ。
このままだとだめだと思い、いつもより早く布団に入る。
長く昼寝したのでなかなか寝付けず、眠り自体もやや浅い眠りだったけど、割としっかり就寝。
朝になったら、いつもの状態に戻っていた。

薬の見せる夢

「栄養ドリンクは生命の前借り」という言葉があるけど、精力剤もそういうものなんだろうな…というのがひとまずの結論。
終わってみれば、なかなか興味深い経験だった。

これって、一応ドラッグ体験と言うことが出来るだろう。
私は違法薬物に手を出したことはないし、これからも手を出す気はない。
でも例えばその手の薬が、例えばこの精力剤ぐらいのパッケージで、普通にそのへんに売ってたらどうだろう。

たまたまその薬を買って飲んでみたら、
結構元気になるなあ。頭もよく回るし。
でもあいだ開くとどっと疲れるな。
じゃあ定期的に飲むようにしよう。

みたいな感じで継続的に飲んでハマってしまってもおかしくない気はする。
覚醒剤にハマる人の一部は、仕事なんかでしんどい時、それを乗り越えるのに使ったのがきっかけだったりするらしいけど、今回の感じよりもっともっと強いシャキっと感や多幸感、そして、その後のダウンとのギャップ。その繰り返しの中で、もっと、もっとと強く依存していくのはなんとなく想像できる。

余談だが、その依存するときの動機って、「人間を辞めよう」じゃなくて「人間らしくあろう」なんじゃないかと思うのだ。

身体がままならない男性が精力剤に手を出す。その場合、直接の目的はもちろんセックス出来る状態になりたいということなわけだけど、その根底には「男性らしさ」だったり「若々しさ」だったりを求める欲求がある。
それと同じなんじゃないかと。

自分の中にある理想的な(あるいは普通の)在り方。
そこから乖離している自分。
それを埋め合わせるための手段としての薬。

もちろん、ベキ論で言えば「そういう手段に頼らず自分自身を変えようと努力するベキ」だし「在り方があまりにも手が届かないなら考え方そのものを改めるベキ」なのだが、どちらもやる余裕が無い、でも埋め合わせる薬は手に入るとしたら?
「あきらめたら試合終了」という言葉をポジティブな言葉として使う人は多いけど、その薬を飲めばあきらめなくて済む=試合を続けられると思い極めてる人にとってはこういう一言が最後の一押しになることもあるのではないだろうか。
だとしたら、それを止めるために根本の部分で必要なのは「薬を使ったら人間失格」と脅すことより、「薬を使わなくても試合終了にならないよ」だったり「試合終了になっても楽しみ方あるよ」と言える世界なのではないだろうか。

まとめ

話が逸れた気がする。

今回飲んだ精力剤は、性的な効果は自覚できなかったけれど、これは私がおじさんだったからで、若い時に飲めばまた効果は違ってたのかも知れない。(あるいは全く効果を感じられなかったかも)
少なくとも身体が元気になっり感覚がスッキリした感じはあって、でも、その分代償のように休息が必要になったりもして。
薬によって明確に身体の感じが変わるこの体験は面白い。

また購入に至るまで、飲んだ後も変化の都度都度に、色々な思いが錯綜した。
男性の肉体を持ち、性的能力(はっきり言えば勃起能力)の高さがプライドの一部を占める人間にとって、それを可能にするかも知れないこの薬は、様々な想像や感情の源泉になる。
ここまで気持ちが乱高下するアイテムも他にはあまりない。
そういう意味でも面白い。

面白いと思えるくらいで留めておくのが花なのだろう。
さて、残ってる分はどうしたものか…。

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