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KODPのフルデコスタジャンと2000年前後の日本語ラップの思い出(前編)

今年の冬のクリスマスプレゼントに某フリマサイトでサムネの古着スタジャンを買った。

83年生まれの僕と同世代なら分かる人はロゴですぐに分かると思うけど、DJ/ラッパーのムロさんが昔作ったという話のKODPオフィシャルスタジャンだ。

分かる人が見たらモロなデザインだから、都内に、特に渋谷のセンター街周辺に来ていくのにはちょっと抵抗あるし、ある程度着るシーンは限定されるんだろうなと思ったけれど、それでもやっぱり欲しかったんだよね。

なぜなら日本語ラップフリークだったハタチ前くらいの僕にとって、このKODPクルーは最高に憧れの存在だったから。

今日はそんな昔話を少し書こうと思う。

ちなみに今回ラッパーの名前を色々書いてるけど、ムロさんだけ"さん付け"で敬称呼びしてるのは単に単語としてのリズム感の問題なので悪しからず(ムロよりムロさんの方が自分の中でリズムが良い)。全ての人に対して敬意はあります。

最高にカッコよかった2000年の日本語ラップ

僕が日本語ラップにハマってたのは高2〜大1くらいのわりと短い間。西暦でいうと2000年〜2002年のことだ。

普通にドラゴンアッシュ経由でジブラにハマったクチだから聴き始めはMr. DYNAMITEのシングルが出た2000年の春。当時は今みたいにネットも発達してなかったけど、ジブラにハマったのをきっかけにBlastなんかの雑誌やタワレコの新譜CDリリース情報を自分で調べながら、とにかく日本語ラップ関連の新譜CDは全てチェックしてた。

当時CSも契約してたからスペースシャワーでやってたHip Hop Royalって言う日本語ラップのPVばっかり流す30分番組なんかもよく見てたっけ。

最初は良さが分からなかったけど、ブッダのベストなんかもほぼリアルタイムで聴いてる。僕は近所のレンタルCD屋でレンタル落ちのDON'T TEST DA MASTERを買ったなんてこともあった。

時期的にはちょうどニトロがインディーズのRealityからアルバムを出す少しだけ前。だから1stが発売されたときからしばらくの大ニトロブームはリアルタイムで体験してる。

さっきのHip Hop Royalの関連イベントで日比谷野音で10月にHIPHOP ROYAL2000って野外フェスがあって、それが当時スペースシャワーで5〜6時間生中継された。幸い初めから終わりまでビデオに撮ることが出来たので、高校生の頃はかなり何度も繰り返し見てたな。このイベントのおかげで当時のメジャーどころのラッパーを多数知ることが出来た。

あいにくさんぴんとは違ってブッダは出演してなかったけど、特にニトロ〜雷家族と続く後半の流れは最高にカッコよく、ホントにVHSのビデオが擦り切れる勢いで見てたのを覚えてる。

さんぴんと同じく仲間を大量に従えてパフォーマンスしたムロさんもカッコよかった。

ギャザリング・オールスターズの話

最近のシーンのことはまったく知らないけど、当時の日本語ラップにはいくつかのクルーがあって、代表的だったのがジブラたちのアーバリアンジム(UBG)、ライムスターやリップスライムやキックザカンクルーがいたファンキーグラマー(FG)、ラッパ狩リヤを中心とした走馬党あたり。

夏ごろにB BOY PARK 2000のテーマソングが発売されたんだけど、この曲が上記3クルー+雷家族とレジェンド3枠のソロバースで構成された曲で、これもまだ日本語ラップ聴き始めだった僕らがラッパーを覚えるのに一役買った。

これが出た夏ごろはまだキングギドラやライムスター周辺くらいしか聴いてなくてムロさんのこともよく知らなかったから、クレイジーAとケークKのガチレジェンド枠2人と並んでがっつりソロパートをもらえてるこのムロって人はどれだけの実力者なんだ?って仲間内で良く話題になってた(笑)

この後、先ほどのHIPHOP ROYAL2000なんかを経てさんぴんキャンプあたりのまで遡って色々と聴き始めることで、日本語ラップにおけるムロさんの偉大さを知っていくことになるんだけどね。


ホントはもっとさらっと書こうと思ったんだけど、いろいろ昔話を書いてたらつい長くなってしまい、まだKODPの話まで辿り着く前に結構な文字数を使ってしまった。

まだまだ長くなりそうだから、今回はここで区切って続きは別記事で書くことにしよう。

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