私の支え
前回、「ロマンチックでもなんでもない」「グレーでも愛は育める」「変わりゆくもの」という三本の記事を公開した。今お付き合いをしている彼との出会いと、それからと、付き合うまで(+最近のことを少しだけ)の話を書いたのだが、予想以上の反響があった。
普段、私はツイッターという場所で自分や身の回りのことについて発信している。(発信というと少し違うかもしれない。有益な情報をみなさんにお届けしたい!みたいな大層なものではなく、ただ日常的に思ったことを書き記しているだけ)たった140字の世界の中では、深く考えて投稿するということはあまりなく、その瞬間に頭に浮かんだことをババッと書いていることの方が圧倒的に多い。ひとりごとに近い感覚だ。ただ、noteにかんしては、ましてや前回の記事にかんしては、半年間という長い時間の中で起きたことや感じたことをより鮮明に思い出すため、その期間のメッセージのやりとりを読み直したり、写真を見返したり、自分のツイートを遡ったりする作業を数日間に渡って行った。文章も書いては消して、書いては消して、の繰り返しで、終わったときには達成感と同時にものすごい疲労感があり、しばらく動けなかった。
懐かしい気持ちになったり、切ない気持ちになったりしながら、初めて自分の身を削るような思いで書いた記事たち。自分の記録のためでもあったけれど、あわよくば、どこかの誰かに届いてほしいという気持ちがあった。だから、感想が続々と届いたときには踊り出しそうなほどにうれしかった。共感の声や感謝の言葉、感動して涙したというメッセージにはこちらまで泣きそうになった。言ってしまえば自分のただの経験談に、こんなに知らない人たちからリアクションを貰えるというのは、それこそ、そうそうない経験だ。
日々の中で辛いことが起きたり、自分に自信を失くしたり、落ち込んだりすることが時々あるけれど、私には言葉がある。自分の気持ちを吐き出せる場所とそのための最低限の言語力がある。それに対して「いいね」と伝えてくれる人がいる。自分の言葉に価値があるとは思えないけれど、意味はあるのかもしれない。それはこれからもずっと私の支えで在り続けるのだと思う。
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