グレーでも愛は育める
いつものごとく朝まで電話をしていて、寝落ちする一歩手前まで眠気が迫っているときだった。私の他にもう一人、気になっている人がいると言われた。こちらが油断している頃合いを見計らったかのようなタイミングで突拍子もなく爆弾を落とされ、すっかり目が冴えてしまった。
他に会っている女の人がいるのは知っていた。彼の家に泊まったとき、メイク落としと洗顔が一つになっているタイプのクレンジングが置いてあった。忘れていったのか、あえて置いていったのか定かではないが、泊まる度に私は知らない誰かのクレンジングをありがたく拝借していた。その時点では特別な関係と呼べるほどの距離感では無かったし、色々な人を見てみたいという気持ちも理解は出来る。自分の時間をどう使おうが本人の自由なので、そのこと自体に落ち込むこともなかった。ただ、置いてあったクレンジングをパッケージ裏に書いてある目安の倍量出して使っていたことはここだけの話。
もう一人の女の人というのは、子供みたいな遊びを同じテンションで楽しめたり、自分の知らないようなことを知っていたりして、一緒にいるとドキドキわくわくするような、私とは正反対の人だと聞いた。私は今まで知り合った人に「落ち着く」と言われたことはあるが、「わくわくする」と言われたことは一度もない。刺激的な要素をほとんど持ち合わせていないことは自覚しているので、いやあそれは確かに正反対だね、困ったねと、一緒に悩んだ。彼はもう嫌われてもいいという気持ちもあって打ち明けたのだろうし、普通は好きな人にそんな事を言われたら引くのかもしれないけれど、正直な人だなあとしか思わなかった。寝ていないせいで思考回路がだいぶ鈍くなっていたからかもしれない。もう一人の相手にはこんな話は出来ないだろうと思うと優越感すらあり、嫌な気持ちにはならなかった。万が一、私の気持ちを試しているのだとしたら、どんと来い、だし。恋愛におけるポジティブさは超一流だと思う。彼がどんな選択をしようとも、私に出来ることは限られている。彼女になりたいとか付き合いたいとかそういう気持ちは、この瞬間に放り出した。下心や邪念よりも、後悔しないこと、自分らしくいること、とにかく今という時間を楽しむことに一生懸命だった。自分の中で、少しずつ恋の形が変わり始めたのもその頃だったように思う。
私たちは世間一般的には『セフレ』と呼ばれる関係に当てはまっていたのかもしれないが、その言葉は好きじゃなかった。セックスフレンド。本命になれない、恋人にしてもらえない、キープ、身体目的。個人的に『セフレ』という言葉にはそういう嫌な意味づけをしているイメージがあった。セックスのためだけに会うことは一度もなかったし、一緒にご飯を食べたり、テレビを見たり、何もせずにだらだらと過ごしたりする時間が幸せだった。そこに一つも愛情がないとは思えなかったし、何も知らない人たちからそう呼ばれることには違和感があり、もやもやした。当時、嫌な言葉を投げられたり、悪意のあるメッセージが送られてきたりもしたが、何を言われても心に刺さらなかった。恋愛においては二人にしか分からないことがたくさんある、ということをこのときに実感した。
覚悟を決めてからの私はものすごく力強かった。会いたいときには会いたい、好きと思ったときには好きと伝えるようになった。会えない日でも自分の時間を楽しむようになったし、もともと我慢や無理はそこまでしていなかったけれど、意地を張ったり、格好つけたりするのはやめた。そうして過ごしている内に、彼はもう一人の子から付き合うのか友達でいるのか、と選択を迫られ、答えが出せないでいたら去って行ってしまったと後々聞かされた。
何か大きなきっかけがあったわけではない。一緒に過ごす時間が増えて長くなっていく中で、彼の方からさりげなく手を繋ぐようになったり、会った次の日にまたすぐ会いたいと連絡があったり、言葉でちゃんと好きだと言われるようになったりした。片思いなんだか両思いなんだか分からない曖昧な状態から、はっきりとした両思いへと日々変わっていく様子がうれしくてうれしくて、ずっとこのままでいいと思った。わざわざ二人の関係に名前をつけなくても、白黒つけなくても、グレーでも、愛は育める。一緒にどこに行きたいとか何を食べたいとかこんな事をしてみたいとか、未来の話をたくさんした。週の半分以上を一緒に過ごすのが当たり前になり、離れるのが寂しいと嘆いて五日間も家に泊まっていたこともある。お弁当を作り合いっこしたり、早起きして山に登ったり、お揃いのリュックを買ったり、幸せな日々を過ごした。
私は彼が好きで、彼は私が好き。それ以上に何があるんだろう。お互いに気持ちを確かめ合ってからも、私たちは付き合うという言葉を口に出すことはなかった。
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