兄姉っぽい、弟妹っぽい
(会話の中でふと気になった表現の話)
らしさはどこにあるのか
「お兄さんらしいですね」
頼りになる人への言葉。
「弟くんって感じするね」
甘え上手な人への言葉。
「ひとりっ子らしいなー」
我が道をゆく人への言葉。
本当に?
兄だから、弟だから、ひとりっ子だから。
それは本当に、その性格が形成された理由なの?
使いがち、使われがちな表現だけれど、簡単にくくれるような例えではないと思う。
兄弟関係の影響
確かに、幼い子どもにとって、兄弟は一番身近な人間関係だ。
自然と役割を分担して、それにそった特技を伸ばしていくのかもしれない。
しっかり者、マイペース、ちゃっかりした、責任感の強い、自己中心的な、強気な、弱気な、、、
それぞれの立場で活かせる利点は変わる。
活かせるものを伸ばしていくうちに、それが癖となり性格となっていくのかもしれない。
ところで
ふと、湧いた疑問。
大人数の兄弟がいたら、どうなるのだろうか。
長子、末っ子は、きっと同じように『らしい』性格になるかもしれない。
では、兄姉であり弟妹である、間の人たちは?
「兄らしい」もしくは「弟らしい」のどちらかになるのではないだろうか?
「真ん中っ子らしいね」と言われるかもしれないが、5人兄弟の人が「上から4番目、下から2番目っぽいね」と当てられることはほとんどないだろう。
現代日本だからこそ?
少人数の兄弟、もしくはひとりっ子が増えているから、「兄姉っぽい」「弟妹っぽい」という表現が的中しやすくなっているのではないか。
子どもが少ないからこそ、幼い頃に、兄弟以外の歳の幅がある人間関係を経験しにくいのだろうか。
だから、『兄弟』というくくりで性格形成の理由をつけてしまうのだろうか。
それは、個性を表す言葉として、なんだかもったいない話のように感じる。
もっと表現の多様性があったら、面白いのではないだろうか。
簡単にくくって、その人のことを決めつけたくない。
そう考えることで、自分の思い込みを防いでいる。