面と向かって「つまんね。」と言われた高校時代のこと
「つまんね。」
一瞬、目の前の女の子に何を言われたか分からなかった。
高校1年の、あれはいつ頃だったか。
クラスメイトのサミちゃんはそういって私の話を遮った。
中学校の卒業に合わせて熊本から引っ越し、千葉の高校へ入った私はその時素直に思った。
ーそうか、都会では面白い話じゃなければ聞いてもらえないのか、と。
八千代市は都会ではないし、都会だったとしてもそんなことはないのだが、九州から友達が一人もいない、完全アウェーへ足を踏み入れた私は、何も疑うことなくそのダメ出しを受けいれた。
サミちゃんは恐ろしく色が白かった。
透き通るようなサラサラの茶髪を耳元で切りそろえていて、その儚げな容貌に反して…恐ろしく口が悪かった。
クラスの8割が女子、揃いも揃って個性が強めなこのクラスで、モノを言うのはオシャレかどうか、そして面白いかどうか、だった。
サミちゃんを中心として、クラスの面々はいかに面白い言動をとるかに命をかけていた。
折しもオンエアバトルと笑う犬の生活が放送されていた頃、常に面白いことを言わなければいけないプレッシャーが教室中に満ちていた。
「お前それしか言えねーのかよ。」
「で?(オチは?)」
「クソだな。」
「帰れよ。」
そんな言葉が、下ネタとともに飛び交っていたし、私も言っていた。
悪口を悪口と思わないほど、そういう言葉が日常茶飯事だったのだ。良くも悪くも適応能力が高い年ごろだった私たちは、こうしてすぐに低いところへ流れていった。
偏差値低めの、雨の日にはダルいというだけで何人も学校に来なかった動物園のようなクラスには、けれども今でいうところの多様性の受け皿があって、要は面白いことさえ言えば認めてもらえた。
私たちは毎日面白ければよくて、おしゃれであれば尚のことよくて、ただそれだけだった。
おしゃれでもなかった私は、このクラスで生き残るために3年間ずっと、話にオチをつけるか、相手を笑わせることに神経を注いでいたような気がする。
毎日がおもしろオーディションのようだったけれど、不思議と高校2年の文化祭あたりから、それをしんどいとも思わなくなった。
うるせぇなと、彼女たちの声に耳をふさぐようにひとり本を読んでいたことも多かった。
けれどもなんでも面白がる彼女たちは「何読んでんの?」と人懐っこく寄ってきたし、フロイトの説明をしたところで「へぇ~」と言って、興味なさそうに離れていくだけだった。
誰が何を好きであっても否定はしない。
クラスの中でそれが当たり前だったことがどれだけ尊かったか、気付いたのは多様性という言葉がすっかり定着したつい最近のことだった。
いつまでも底辺にいてはいけないと、受験勉強を頑張ってなんとかそれなりの大学には入ったけれど、いい意味でも悪い意味でも、あそこよりクセの強い場所は今のところ見つかっていない。
偏差値が低めで個性が強めで、3年間クラス替えのなかったそんな特殊な学級では、退学者が相次いだ。毎年出席番号が繰り上げになって、卒業することには確か8人くらい中退していたと思う。
無事卒業しても海外に行ったり行方が分からなくなった子も多くて、サミちゃんも風の噂でデパートの受付嬢をしていたというところまでは聞いたけれど、今ではそのデパートも潰れてしまった。
イケイケのサミちゃんと地味な私は全く別のグループだったし、最後まで特別仲が良かったわけでも、メアドを交換していたわけでもない。
でもわりとよく喋っていたと思う。
自分とは共通点がほとんどない相手に、いかに面白い話をするか。
たぶんそれで、色々鍛えられたのだろう。今では誰が相手でも世間話に困ることはなくて、「何を話していいか分からない」なんて事態に陥ったことは殆どない。
先日、高校時代の友人と昔の話をしてからというもの、彼女の「つまんね。」が、むしょうに懐かしい。
なんとなく終着先が見え始めた人生。自分と一緒にいてくれる人には、楽しんでほしい。笑っていてほしい。
ぼんやり、つまんなく生きるなよ、という自分への警告を込めて、私は時々胸のなかであの子の「つまんね。」を思い出している。
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