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夏川草介『スピノザの診察室』刊行記念インタビュー|「相手を思いやる」という当たり前のことが、少しでも広がっていくようなものをこれからも書いていきたい。

長野県で地域医療に従事する現役の内科医であり、シリーズ累計340万部突破のベストセラー『神様のカルテ』を代表作に持つ小説家、夏川草介。最新作『スピノザの診察室』は、京都の地域病院で働く内科医を主人公に据えた長編小説だ。「たとえ病が治らなくても、仮に残された時間が短くても、人は幸せに過ごすことができる。できるはずだ、というのが私なりの哲学でね。そのために自分ができることは何かと、私はずっと考え続けているんだ」(主人公のセリフより)。幸せをテーマに据えることで新境地を切り拓いた作家に、話を聞いた。(取材・文 吉田大助)


──夏川さんの新刊が、設立4年目の新興出版社・水鈴社から刊行されると聞いた時は驚きました。出版に至った経緯を教えていただけますか。

夏川 水鈴社の篠原一朗さんは、『神様のカルテ』の単行本を出してすぐ、一番最初に原稿依頼をしてくださった編集者さんなんです。「待ちます」とおっしゃった篠原さんを結局、14年も待たせてしまうことに(苦笑)。篠原さんからは「医療を題材にしたものを書いてほしい」という条件以外に大きな注文は何もなく、好きに書かせてもらいましたね。

──近刊2作(2021年4月刊の『臨床の砦』、2022年8月刊の『レッドゾーン』)は、コロナ禍の最前線に立った医師としての経験を如実に反映させたドキュメント小説でしたが、ガラッと雰囲気が変わっていますね。

夏川 その2冊を書いていた時は必死でした。書かなければ、夜も眠れなかったんです。例えば、レッドゾーン(新型コロナウイルスの汚染エリア)に入るための防護服を着る時、着るのはいいんですが、着て出てくる時に、本当に体にウイルスがついてないのかどうか。ウイルスがついていたら自分が感染源になるという恐ろしい状態じゃないですか。すさまじいプレッシャーの中で、どうやって自分の行動を納得させるかという時に、書くことで理屈を整理して気持ちを落ち着かせていたんです。そこからようやくコロナを巡る状況がひと段落した時に、これまで発表してきた作品から一歩先へ進むようなものを書きたいなと思うようになりました。

──一歩先、とは?

夏川 これまでの医療ものの小説では、治療をすること、それが無理だった時には看取りをすること、この2つのことにフォーカスを当てて書いてきたんですね。でも、この2つを見ている限りでは、辿り着けないものがある。それは、人は病を得て、あるいは死を目前にして、「どうやって幸せに生きていくか?」です。その非常に難しくて怪しい響きのある問いと、真正面から向き合っていくような小説を書きたかったんです。

──プレスリリースの言葉が印象的だったんです。〈医療が題材ですが「奇跡」は起きません。腹黒い教授たちの権力闘争もないし、医者が「帰ってこい!」と絶叫しながら心臓マッサージをすることもない。しかし、奇跡や陰謀や絶叫よりもはるかに大切なことを、書ける限り書き記しました〉。その「大切なこと」とは、幸せとは何か、という問いだったわけですね。

夏川 大事なことってわかりにくいと思うんです。わかりにくいことをわかりやすく書いた瞬間、伝わらなくなる部分がある。そう考えると、小説という形態が一番いいんですよね。情報として、例えば「幸せの意味を示す5つの条件」というふうに書いてしまうと取り落としてしまうものが多くある。「幸せとは何か? この本の持ってる空気感ですよ」と言えるような、「それ以上言語化すると、違う方向にいってしまいます」という答え方ができる作品にしたいと思ったんです。

机上の空論や幻想ではなく
人は「愉快に亡くなっていける」

──本作の主人公は京都の町中にある地域病院、原田病院で働く38歳の内科医・雄町哲郎(マチ先生)です。原田病院に入院している患者の半数は高齢者で、多くが認知症を患っている。多くの医者にとっては難手術を成功させたり、患者の病気を治すことや退院させることではなく、治らない病気といかに付き合っていくかが仕事なんですよね。フィクションでよく描かれる医者の華やかな仕事とは全く違いますが、こちらが今の日本の医療現場のリアルなのでしょうか?

夏川 おっしゃる通り、こういう現場にいるドクターの方が圧倒的に多いと思います。ただ、スポットライトが当たりにくいというか、分かりにくいことをやっているんだと思うんです。だから、フィクションの登場人物にはなかなかなりにくい(苦笑)。

──全4話では、マチ先生と高齢かつ重篤な病を患う患者たちや、医療関係者たちとの交流が紡がれていきます。原田病院は、個性派の医師揃いですよね。患者から「ここ、なんか変わった病院やな……」と呟かれるほどです(笑)。

夏川 特に意識して個性的な人を出そうと思ったわけではないんです。ドクターって、ヘンな人が多いんですよ。他の職業の人をそんなに知らないもんですから、私の見えている世界が狭いせいでヘンに見えるのかなと昔は思ってたんですが、医者を21年やってきた結論としては、やっぱりヘンな人が多い(笑)。

──本作は、これまでの作品のように、病院内での医師同士の対立や、院内改革的な要素も入っていませんね。

夏川 病院の現状とか地域医療の内情とか、そういうことは今回、全部置いておくことにしました。この小説の中で人はたくさん亡くなります。だけれども、できるだけ安心感のある風景を描きたかった。これに関しては、私自身の経験が大きいんです。余命わずかということが明らかな病状なのに、すごく穏やかに毎日を過ごしていて、いつもニコニコ笑ってこちらのことを気遣ってくれるような患者さんと、年に1人か2人出会うんです。亡くなることはものすごく絶望的で悲しいことではない。ヘンな言い方になりますが、人は「愉快に亡くなっていける」。それは机上の空論や幻想ではなく、実際にそういう人はいるという確信が自分の中にあるからこそ、ある程度の説得力を持って書けている部分があるのかもしれません。

──一方で今回は、主人公にかつてないほど重たい過去を背負わせています。マチ先生は3年前、闘病を続けていた最愛の妹を失った。遺児となった甥の龍之介を引き取って育てるために、大学病院で築き上げてきたキャリアを捨てて、地域病院で働く内科医となりました。

夏川 絶望的な環境なのに笑顔で過ごしている人は実在する、なおかつその人のそばにいるおかげで、周りにいる人たちも笑顔になれる。私自身が得た経験を主人公像に投影して、この主人公に語ってもらったという感覚です。

──大学病院で医療の最前線に立つことが、果たして医者としての幸せなのか。幸せの多様性を、マチ先生の生き方が教えてくれているようにも感じました。

夏川 なんとなくですが、僕らの世代から下は、がむしゃらに出世したいと思っている人ってそんなにいないような気がするんです。僕が医者になった当初は、上の世代の先生たちが「論文を何本書かないと教授になれないぞ」といった会話をしているのを聞いたんですが、そういう価値観が下の世代には通じなくなっている。そのせいで上の世代と噛み合わなくなり、「あいつはやる気がない」みたいな評価になってしまったりするんですが、彼らは淡々といい仕事をしているんです。ですから今回の主人公は特殊なキャラクターを描いたというよりは、仕事に対する現代の代表的価値観を表現したつもりです。

──ただ、マチ先生の思弁の深さ、その前提となっている厭世観はとびきりですよね。そんなマチ先生の愛読書が、17世紀オランダの哲学者・スピノザの著作です。ともすれば絶望と捉えられるスピノザの哲学を、マチ先生は希望として読み解いている。スピノザにフォーカスした理由とは?

夏川 うまくいかないことばかりの中でも努力をする、なおかつ、努力とは別に常に希望を持つ。この2本の柱をきっちりと哲学的に著したのがスピノザである、と私は感じているんです。要は、「人の幸せはどこから来るのか?」ということですよね。厭世観であるとか諦観の中に、なんとかして希望を書き込みたいと考えた時に、スピノザの残した言葉が自然と意識の俎上にのぼってくる感覚があったんです。

目の前の医療にいっぱいいっぱいになっている医師が
生と死の向こう側を見るというのは無理がある

──全4話のうち3話は、京都の風景の描写から始まります。風景の中に新しいものと古いものが混在していることが魅力……という記述もありましたが、京都を今回の舞台にした理由をお伺いできますか。

夏川 人間がこの世界の中心ではなく、風景や自然、大きな世界の中に人間がいる感覚が常にあるんですよね。ですから私は小説を書く時、必ず風景を最初に書くんです。言い換えると、何か物語を書く時に、景色が安定しなければ書けないんです。今回は治療とか看取りの話の外側、医療の枠組みのちょっと外側に出たいという感覚を持ってたものですから、これまでの小説で舞台にしてきた長野とは別の街にした方がいいだろうと思いました。それで、馴染みのある京都を舞台にしました。

──著者プロフィールによれば、生まれは大阪ですよね。

夏川 実家があるのは大阪の高槻市なんですが、京都市の隣なんですよ。大阪市に行くよりも京都市の方が近くて、予備校も京都でしたし、遊びに行くのもだいたい河原町周辺でした。自分の中では、懐かしい風景というイメージなんですよね。懐かしい場所が舞台なので、自分も安心して書けるんです。

──マチ先生は大の甘党で、京都の和菓子が大好きで……というエピソードにもとびきりのリアリティを感じました(笑)。全4話は夏から秋へとゆるやかに季節が進んでいきますが、その中には京都の行事も織り込まれています。五山の送り火や六道まいりなど、京都は死者の存在を感じる行事が多いことに改めて気付かされたんです。今回の題材と舞台の相性は良かったのではないでしょうか?

夏川 確かに、長い歴史のある街の方が生と死が繋がっている感じがしますね。たぶん、昔はもっと生と死は近かったんだと思うんです。「亡くなったおじいちゃんが今日は帰ってくるから」と言って、玄関へお出迎えに行くような行動を当たり前のように取っていたのではないか。それがここ何十年か何百年かで死というものを特別な環境へ閉じ込めていって、元気な人たちの世界と、病気になってしまった病院施設の世界とに分けてしまった。けれども、生と死が繋がっていた時の風景がそのまま残ってる数少ない街という意味では、京都を舞台にしたことで書きやすかった部分があったかもしれません。

──生と死がグラデーションで繋がっている世界の中で、幸福について考えているのだ、と。

夏川 『スピノザの診察室』は、医療ものではないのかもしれない、と思っているんです。世界の大きな営みの中に医療というものがあって、それが生死を考えるきっかけになっている。自分はそういう話を書いたのかもしれないな、と。これまでの医療関係の作品って、他のドクターたちが「これなら説得力はある」と言ってくれる作品だったんですよね。「医学として無茶なことをしてないものだから、応援してあげよう」と言ってくれる先生たちがいっぱいいたんですが、今回はどうなるかちょっとわからない(苦笑)。そういう不安を自分が抱いていることもまた、新しい試みをしたという証なのかもしれません。

──ただ、今回の物語には、マチ先生がスーパードクターに変貌する瞬間が何度か書き込まれていますよね。「病名当てミステリ」のサブストーリーは大興奮でしたし、終盤の内視鏡手術のシーンではゴッドハンドが炸裂していました。

夏川 これまではフィクションに出てくるようなスーパードクターを書かないつもりでいました。ただ、私は医者を始めて今年で21年目なんですが、医者を20年もやっていると、すごいヘンな話ですが、自分がスーパードクターになる瞬間に出会うんですよね。自信過剰になってはいけないんですが、たとえばあの病院でも処置ができずこの病院でも処置ができずにきた患者の内視鏡手術を依頼されて、大きなトラブルもなく、イメージ通りにうまくいったことがあるんです。昔、指導医の先生に「20年やれば内視鏡は一人前になる」と言われたんですよ。「ただ、20年間休まずやれよ」と言われたんですが、あぁ、このことを言っていたのかと感じたんです。スポーツ選手で言うと「ゾーンに入る」ということなのかもしれないですが、スーパードクターの感覚というのは、全否定することはないのかな、と。自分がそれを経験しているなら書いてもいいだろうという判断で、そういうシーンを初めて出してみたんです。

──そのシーンによって、これほどの技術を持った医者が、時に「介護施設」とも揶揄される地域病院にいる驚きが倍増していると思います。

夏川 ここまでの技術と知識があるからこそ、次のことを考えられるんです。目の前の医療にいっぱいいっぱいになっている人が、生と死の向こう側を見るというのは無理があります。僕自身もまだまだ半人前ですが、医者として長くやってきたおかげで、見える景色が少しだけ広くなってきました。その経験をもとに、雄町哲郎と一緒に、幸福に対する哲学を一歩進めていきたいと思ったんです。

「相手を思いやる」という当たり前のことが
少しでも広がっていくようなものを

──第2話では、マチ先生のかつての上司である大学准教授の花垣が、愛弟子である南茉莉(まつり)を研修と称して原田病院に送り込み、師弟関係が立ち上がります。この師弟の関係がどうなるかも楽しみですし、原田病院の他の医師たちも抜群に魅力的ですよね。個人的に、元精神科医の秋鹿医師のことをもっと知りたくなりました。

夏川 悲しみや憎しみと向き合い続けることはとても過酷で、耐えられなくなる人はたくさんいます。うつ病になって医師を辞めてしまう人は、決して少なくありません。そういう人は本来、優しい人なんです。でも、その人の優しさというのは、特に医師の世界においては見えにくい。秋鹿についてはゆっくり、もう少し具体的なシーンを書いていくつもりでいます。「人間が幸せになっていくためには何ができるか?」そんな当たり前に見えて、なかなか向き合うことのない問いを大切にしている作品ですから、それぞれの物語と言いますか、各キャラクターの視点からそういうものを書いていきたいと思っているんです。

──続編がある、ということですね!

夏川 本当はもっと長い話にする予定だったんですが、面白く楽しく読めるものをと考えた時に、コンパクトに、一作でちゃんと完結しているものを書きたいと思いました。ただ、幸福にまつわる哲学的な部分としてもまださわりの領域ではありますし、どんどん書けるかどうかはわからないと先に言っておきたいんですけれども(笑)、少し長く続くものを書き始めたのかな、と思っているところです。

──今回は夏から秋にかけての京都の風景が描かれましたが、冬の京都が夏川さんの筆でどう描写されるか楽しみです。

夏川 冬は医療の世界にとって厳しい季節なんですが、確かに書いてみたいですね。雪の嵐山とか、いいかもしれない。

──マチ先生と南先生の関係も、師弟から恋愛へと移行するかもしれない……?

夏川 まだまだちょっと未熟な、先生と生徒的な雰囲気がありますよね。わかりませんが、簡単にどうこう、ということにはならないだろうとは思います。年齢差もありますし、家族の問題もあります。

──障害を飛び越えてくれると信じています!

夏川 そうですね。私も信じています(笑)。実はこの4月から、勤め先が変わって以前より時間の自由が利くようになったんです。これまで家にいる時間をほとんど作らなかったもので、子供達のために時間を割きたいという思いはありつつ、小説に向かう時間も少し増えるのかな、と。ゆっくりゆっくり、書き進めていきたいと思っています。

──本作は「幸せとは何か?」という問いを通じて、自分のみならず、他人に対する心遣いの仕方を教えてもらっている感覚もあったんです。続編、楽しみにしています。

夏川 今という時代は、人の話を聞くよりも自分の意見を主張することの方が大切だと考える人が多いように思います。その結果、人と人がぶつかり合うことが増えている。過激な言葉の応酬が、メディアでもよく取り上げられますよね。その影響からか、病院に来る人も最初から喧嘩腰の人が増えているんです。診察室に入るなり、いきなり「先生は専門医持ってるんですか? 何年目の医者ですか?」と聞いてくる。気持ちはわかるんです。インターネット上には悪い医者の情報が溢れているし、黙っていたら何をされるかわからない。だから、人間不信に陥って喧嘩腰になってしまう。でも私は、そういう方向ではない、もっと安心できる人間関係のイメージを、小説を通じて伝えたい。医療の現場に限らず、「相手を思いやる」という当たり前のことが、少しでも広がっていくようなものをこれからも書いていきたいんです。

夏川草介『スピノザの診察室』
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夏川草介(なつかわ・そうすけ)
1978年大阪府生まれ。信州大学医学部卒業。⻑野県にて地域医療に従事。2009年『神様のカルテ』で第10回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。同書は2010年本屋大賞第2位となり、映画化された。他の著書に、世界数十カ国で翻訳された『本を守ろうとする猫の話』、『始まりの木』、コロナ禍の最前線に立つ現役医師である著者が自らの経験をもとに綴り大きな話題となったドキュメント小説『臨床の砦』など。