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あなただけの物語を生きる ヒーローズ・ジャーニー

運命決定論は、現代を生きる私たちにとって大きな慰めと救いになる思想です。

なぜなら、私たち現代人の多くは「自己決定論に伴う重い責任」にもうヘトヘトに疲れ切ってしまっているからですね。

ライバルたちとの激しい競争を勝ち抜いてようやく高学歴を獲得しても、途中で挫折して出世争いに敗れれば「自己責任論」で切り捨てられ「脱落者」の烙印を押されてしまいますし、精神疾患を発症すれば「子供時代のトラウマが原因だ」と医者から言われて薬漬けにされ、自分では対処のしようのない「親ガチャ」に生涯に渡って呪われ続けます。

高学歴の女性はなかなか結婚相手が見つかりませんし、それは非正規雇用の男性も同じで、日本の生涯未婚率は過去最高を更新し続けています。もちろん、彼らは決してダラけているわけではなく、むしろ「私はこんなにも頑張っているのに、なぜ報われないんだろう?」という怒りと悲しみを抱え、思わず「もう死んでしまおうか・・・」とさえ思い詰めるほど悩んでいるのです。

そんなふうに、ほとんどすべての人が「なんで私だけがこんな目にっ!」と叫びたくなるような絶望を幾度も経験し、その傷も癒えないままに今日も歯を食いしばりながら生きることを強要されています。

「勝利者がすべての利益を独占できる」という弱肉強食の価値観が蔓延した社会で、私たちは常に極度の緊張を強いられ、その重圧に今にも押し潰されそうになって、ゆっくり深呼吸すらできません。息が詰まって窒息しそうになっているのですね。

婚活・就活・保活・・・人生のあらゆる課題が「椅子取りゲーム」のような熾烈な競争と化し、ボヤボヤしていたらすぐにでも「落ちこぼれ」になってしまいかねないという「終わりのない恐怖」を抱えながら私たちは生きているわけです。

そんな苦しみに満ちた世界の中で、肩に食い込む重荷を下ろし「運命」という導き手にすべてをゆだねて「楽になりたい」と思うのは人間の防衛本能とも言うべきものではないでしょうか?それは決して現実逃避などという安易な言葉で片づけていい類のモノではないはずです。

私たちは、喉から手が出るほど「生きる意味」を求めており、それは溺れている人間が水面に顔を出したいと願うのと同じぐらいに強烈な渇望になっています。

そんな時・・・「運命決定論」は、暗闇に差す一筋の光のように、私たちに「もう少しだけ生きてみようか」と思わせてくれる究極の思想です。「最終奥義」と言ってもいいかもしれません(笑)。

どんなに厳しい現実に直面しても、それが「神の定めた舞台劇のシナリオ」に過ぎないと分かれば私たちの心には「生きる希望」が生まれます。なぜなら、あらゆる辛い出来事が「綿密に計画されたハッピーエンド」を迎えるための伏線になっているはずだからですね。

つまり、「すべては良き結末を導くために必然的に発生している出来事」ということを信じるだけで、私たちはどんな逆境にも負けない「強い心」を自然に持つことができるのです。これこそ「究極の人生哲学」と呼べるものではないでしょうか?

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