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ありのままの自分を愛する 無為な生き方
「私たち、このたび結婚することになりました」
結婚が決まった男女が、上司や親戚の家に挨拶回りをした時、日本人は大抵このような言語表現を使って報告しますよね?
でも、この言い回しは日本語を勉強している外国人から見ると、極めて不自然な表現に感じるそうなんです。
一般的に、自分の意志で決めたことは「~することにした」、自分の意志とは関係なく決めたことは「~することになった」と表現します。
許嫁(いいなづけ)制度があった戦前・戦中ならいざ知らず、現代において結婚は男女がお互いの合意のみによって主体的に決めたもののはずですから、本来の正しい文章は「私たち、結婚することにしました」でなければならない・・・というのが外国人たちの主張なわけです。
英語で書くと I'm going to get married. ですね。
be going to を使って「私は自分の明確な意思によって、これから結婚をするつもりだ」としっかり表現しなければならない・・・と言うのです。
確かに、彼らの主張は一見スジが通っているように見えます。「結婚することになりました」と表現すると、まるで何かに強制されて仕方なく結婚を決めたようにも受け取れるからですね。
でも、我々日本人が無意識に意図しているのはそういうことじゃないんですよ。
日本人が日常的に使っている「結婚することになりました」という表現の中には「お互いの家族や友人など、周囲の人々の協力のおかげで私たちはようやく結婚の日取りを決めることができました」という感謝の気持ちが込められているからです。
このような幸せを掴めたのは決して私たち二人だけの力じゃない、本当にありがとうございます・・・というわけですね。
だから日本人のマナーとして「結婚することになりました」という言語表現を使うのはとても理にかなっていることなんですよ。
これから結婚式や披露宴の招待状を送る予定のある方は、ぜひ「結婚することになりました」とお書きください。
でも実は、もっともっと深い運命学的な次元で語るならば、結婚自体が「本人の意思とは無関係な領域で生まれる前から決まっている約束事」なのですから、日本人の言い回しこそが「唯一絶対の真実を的確に表現している」とも言えるのです。
個人の意志の力を越えた強い結びつき・・・いわゆる「運命の赤い糸」の存在ですね。
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もちろん、親密な人間関係を生み出す「見えない力」の働きは結婚だけに限りません。どの親の元に生まれるか、誰と友達になるか、上司や恩師はどのような人なのか・・・は、すべて生まれる前から結ばれている「縁」によって生じる「不可避」な出会いなのです。
もっとはっきり言ってしまうと「結婚はあなたの意思では決まらない」ということです。この基本ルールを理解していないと、あなたは本当に結ばれるべき人と夫婦になる流れを「エゴ」の力で妨害してしまいかねません。
古代中国の思想家・老子は「個人的な意図を捨て、自然(運命)の流れに従えば、人生のすべては完璧に整う」と説きました。
これがかの有名な「無為自然(むいしぜん)」の思想ですが、これがインド伝来の仏教思想と結びつき「禅」という特殊な瞑想法が生まれたのです。
要するに、禅とはインドの仏教思想と古代中国の老荘思想(道教)をハイブリッドした「人生の攻略法」なのです。
禅の基本は「ただ座る」ことです。悟りを開きたいとか、引き寄せの法則を使いこなしたいとか、健康になりたいとか、そういう個人的な願望を一切考えずに「ただ座る」んですね。
何の意図も持たず(無為)に、ただ「流れに乗る」ことによって、本来のあるべき運命(自然)が完璧に実現されて行くのを俯瞰的な視点からゆったりと目撃すればいい・・・というわけです。
無為とは「作為を持たないこと」、自然とは「運命が勝手に実現されていく様子」を意味します。
このような達観した心理状態で瞑想するのが「禅」であり、そこから得られる報酬とは「完全なる安心感」です。もちろん「安心感が欲しい」と願うことすらも禁止ですから、それは結果論に過ぎないんですけどね。
ここ最近の流行で言えば「マインドフルネス瞑想」がこの禅の考え方に近いかもしれません。
マインドフルネスで説かれる「今に在る」と、禅で説かれる「ただ座る」はとても似ていますので、どちらの瞑想法に挑戦しても辿り着くゴールは同じだと思います。
さて、現代では婚活、妊活、就活などが盛んで「頑張って努力しないと何も手に入らない」と考える風潮があります。細かく言うと、腸活だとか菌活だとか、「活」と名のつくものは全部で29種類もあるそうですよ(笑)。
ただし、そこに貫かれているのは「努力しなければ何一つ手に入れることはできないし、それを受け取る資格もない」という強烈な思い込みです。
でも、そんなことはないんですよ。
私自身は婚活なんて一度もしたことがないのに結婚できましたし、不妊治療なんてしなくても結婚10年目で自然に子どもができました。
親の農地を引き継いで農業経営者になったので就活さえもしていません。
息子は0歳(生後6か月)で保育園に入園することができましたが、それもたまたま引っ越しをした日に住所変更のために市役所の窓口に行ったら「最後の一枠が空いてますけど、どうしますか?」と聞かれたので「あ、お願いします」と答えただけで、いわゆる「保活」は全くしていないんです。
要するに私は人生の重大な岐路において、いつも「な~んにも意識的な努力をしていない状態」で、すべてを手に入れたのです。
いや、もちろん育児は大変でしたよ(笑)。でもそれは「天によって与えらえた課題」を淡々とこなしているような感覚であり、私自身が自分の意思によって何かを強引に現状変更したことは一度もないのです。
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