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死は幻想なのか? 情報として存在し続ける私たち

私の両親の身体から二人同時に「癌」の腫瘍が見つかりました。

父親は「胃がん」、母親は「乳がん」です。毎年受けている石巻市の定期健診で病変が見つかり、その後、県立がんセンターの精密検査の結果「間違いなく癌ですから、治療が必要です」と医師から宣告されてしまったんですね。

まぁ・・・二人とも高齢だし、再検査の話を聞いた時から予想はしていたので、私はそれほど驚きませんでした。

「日本人の二人に一人は、生涯に一度は癌になる」と生命保険会社のCMでも盛んに宣伝されてしますが、それが事実であるならば、「いつか起きる可能性が高かったこと」が、たまたま今、起こっただけに過ぎないと思ったからです。

客観的な医学データによると、男性の「がん罹患率」は何と驚きの55パーセントです。女性は大幅に下がって41パーセントですが、男女両方を足して平均すると48パーセントになるので、なるほど確かに「日本人の二人に一人」が一生に一度は癌にかかるという話は嘘ではないことが分かります。

つまり癌は、誰がいつ罹患しても不思議ではない、ごくごくありふれた病気なんですね。

ドラマなんかでは、がんを宣告された主人公な「何で私が?」と思わず呟いてしまうシーンが描かれることが多いですが「確率2分の一」なんですから、何で?もへったくれもありません。

コインを放り投げて「絶対に表を出せる」という念動力でもない限りは、「何で?」という疑問を差しはさむこと自体が無意味なんですね。

特に男性は「罹患する確率のほうが、一生を健康に過ごす確率よりも高い」のですから「なって当たり前」ぐらいに思って定期健診は欠かさず受けたほうがいいでしょう。

癌は、若い頃に罹患してしまえば確かに「悲劇的事件」かもしれません。将来的に手に入れる予定の「充実した人生」を失う恐れがあるからですね。

でも、高齢になればもともと残り時間が少ないわけですし、心疾患や肺炎など、他にも「死に至る可能性の高い病」はいくらでも起こり得ますので「癌になったから特別に運が悪い」とは言えません。

極端なことを言えば、高齢になれば普通の風邪やインフルエンザでもコロっと亡くなる恐れもあるわけですから、ある程度の年齢になったら「旅立ちの準備」をしていなければならないんですね。

人生の中盤を過ぎてもなお「死について真剣に考えたことが一度もない」という人がいるとすれば、それは思考の怠慢としか言いようがありません。それは「まだオムツの取れていない小学生」ぐらい恥ずかしい話なのです。

人類にとっての「最大の謎」であり、人生にとって「最大の疑問」である「死とは何か?」について、老境に達するよりも前に誰もが自分なりの答えを見つけておく必要があり、それは人生の必須履修科目なのです。

チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は、ある雑誌のインタビューで「次の自分がどのような人間に生まれ変わるか、そのことを考えると死ぬのが楽しみだ」とニコニコしながら答えていました。

さすがにここまでアッケラカンと割り切って考えるのは私たちには難しいでしょうが、それでも死の瞬間を「恐怖心と共に迎えるか」、あるいは「ワクワクする好奇心を持って迎えるか」によって人生全体のクオリティは大きく変わってしまうに違いありません。

幸い、83歳の父親は「もう、男の平均寿命はとっくに過ぎているんだから、今後何が起こっても文句はない」と自分の運命を受け入れているようにも見え、表面的にはうろたえている雰囲気はありません。

この辺のドライな感覚が私とよく似ていますね(笑)。

父は6人兄弟の末っ子として生まれたので、上の兄・姉5人のうち、もうすでに4人が亡くなっています。4回も自分の兄・姉の葬式に出席していれば「そろそろ次は自分の番かな?」と考えるのは自然なことだったんでしょう。

本人の口から直接聞いたことはありませんが、「死とは何か?」「人間は死んだらどこに行くのか?」について自分なりに到達した結論があるんだと思います。

ただ、さすがに両親の二人同時入院となると世話をするこちらとしても負担が大きく、実家で飼っている猫をウチで預かる都合もあります(両親と私は別世帯です)。

もともとこの猫(サラちゃん)は、6年ほど前に私が迷い猫を保護し、自宅で飼っていた猫なのですが、当時住んでいた集合住宅が「ペット禁止物件」だったため(隣人から苦情が来た)、泣く泣く実家の両親に預けたという経緯があります。

要するにサラちゃんは本来「私の猫」なのですね。

ところが、私はその翌年に突然「猫アレルギー」を発症してしまい、サラちゃんに「触れない」という体質になってしまいました。抱っこしただけで全身に蕁麻疹が出てしまうものですから、実家に帰った際にはゴム手袋をつけてから頭を撫でていたほどです。

保護した直後のサラちゃん 自宅前に2日間座り込みをしていた「押しかけ女房」

だからどうしたもんかな~と思案していると、実家から電話があって「さっき猫が死んだ」と言う。

サラちゃんは数カ月ほど前から口の中に腫瘍(扁平上皮癌)ができていて余命わずかだと獣医に宣告されていたので意外ではないんですが、死のタイミングが絶妙過ぎて「皆様にご迷惑をかけないように、予定よりもちょっとだけ早くあちらに行きますね」と言われたような気分になります。

推定年齢7歳の早過ぎる別れでしたが、最後の最後まで忠義心の厚い猫でした。

サラちゃんの遺体は当日の昼間、すぐに父が火葬場に運び、そのままペット霊園に埋葬されました。

・・・幸運にも、母の乳がんは比較的初期で、それほど緊急性が高くないため、父の入院日と日程をズラすことができることが分かりました。

つまり、胃がんの父の手術・退院後に、入れ替わりで母を入院させることができると説明されたのです。

ふ~、やれやれ。これで何とかなりそうだ。

そう思って安心していると、サラちゃんが死んだのと同じ日の真夜中に携帯電話が鳴りました。非常識な時間にかかって来る電話は大抵が「悪い知らせ」なんですが、案の定、従兄からで「父(私から見れば伯父)が危篤状態だから、来れるようなら今すぐに病院に来てくれ」ということでした。

なんと!今度はそっちか・・・。

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