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自分と家族が一番という残酷さ

妹から心配そうな文章で連絡がきた。中学3年の甥が先日修学旅行に行ったのだが、事前準備で必ずやる、宿泊部屋のグループ決めの話だった。甥のクラスには少しばかり知的障害を持つ子(以下A君)がいて、二泊三日の部屋決めにあたり、男子全体がA君と同じ部屋は避けたいという雰囲気になり、ひどく揉めてしまって全然グループが決まらなかったのだそうだ。
甥はそういう揉め事が苦手なため、自分はどの部屋でもいいと名乗り出た。結果、甥は仲のいい友だちとは別の部屋になり、二泊ともA君と同じ部屋になった。妹は甥からその話を聞き、甥に「あなたはそれでよかったの?」と聞いたところ、甥は「同じ部屋にはほかにも話したりする子がいるから大丈夫」と言った。幼いころから自分よりも周りの気持ちを優先する甥の性格を知っている妹は、甥が、それが甥自身の選択ではあったとはいえ、おそらく揉め事を収めるために本心を抑え、親しい友だちと同じ部屋にならなかったのだと想像した。妹はそんな甥が、長い間楽しみにしていた修学旅行を存分に楽しんで過ごせるのか心配だと言った。

私は、こんな残酷な揉め事の犠牲なってしまったA君の心情を思うといたたまれなくなり、担任がいながらそんな内容で揉めること自体A君をバカにした行為であり、非常に疑問に思うと妹に言うと、妹は、甥も同意見であり「最悪だほんとに」と言っていたと言った。甥はこの状況に疑問を感じた、でも妹自身はそう感じなかったのだろうか、と一瞬思ったが、私は何も言わなかった。

結局妹は、修学旅行中に毎日更新される学校ブログで旅行中の子どもたちの様子を終始チェックし、甥が少しでも笑顔の写真を見れば安心し、その写真を私にも送った。私もかわいい甥が楽しんでいる姿を見れば嬉しいし、前述の部屋決め騒動のあとで、修学旅行を楽しむ我が子の笑顔にほっとする妹の気持ちも、わからないではないのだけれど。

でもやっぱりこの話を聞いた翌日、どうにも心がうずいた。
妹は、甥の行動とその時の心情について、幼いころから甥を良く知る私に伝えたかった。その気持ちはよくわかる。しかし、その場にいたA君の気持ちについては全く触れようとしなかった。そんなセンシティブな内容で、A君本人のいる前でほかの生徒に揉めさせてしまっている担任の無神経さや管理能力のなさについても、私は妹から何の感想も聞かされなかった。

甥の選択に「あなたはそれでよかったの?」と聞いた妹。妹は自分の思い通りにならなかったことが嫌だったんだと思った。甥以上に妹自身が、甥にA君と同じ部屋ではなく、仲のいい友だちと同じ部屋になってほしかった。だから甥の選択に対し、甥の真意は違うということを甥に思い出させるために、甥の選択を認めず、その選択が間違っていたと思わせるためのまるで思考操作のように、中学3年の甥に対し「本当にそれでよかったのか」と聞いたのだと思った。なぜそこで、甥の勇気ある行動を認めてあげられなかったのだろう。甥の優しさや繊細さ、周りの友だちたちに対する配慮を感じ取ってあげようとしなかったのか。
もやもやを放置せず立ち止まって認識したら、わがままな妹の性格を再確認してしまった出来事だった。

A君の母親も、私の妹も、同じ中学3年という思春期真っただ中の子を持つ親である。昔から我が子に対し少し過干渉ぎみといっていい妹の、何よりの関心ごとは我が子なのだ。A君の気持ち、A君のお母さんの気持ちを少しでもいいから想像することはできなかったのか。できていたら、私に話してくれたはずだよな。妹を大事に思う姉として、とても残念だ。


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