いろんな人に憧れて、結局だれにもたどり着けない
いろんな人に憧れて、結局だれにもたどり着けない。色々まざくってごちゃごちゃの中途半端だ。
「憧れの人ってだれ?」
友達とそんな話になった。
うーん、うーんと考えてみたのだけど、全然思い浮かばない。友達に同じ質問を返してみる。すぐに答えが返ってきた。
私はそのあと、たくさんの人の顔や名前を思い浮かべた。けれどどうもピンとこない。
でも、人のことを尊敬していないわけじゃない。良いなあ、素敵だなあと思う人はたくさんいる。だけど私は一人に憧れてその人の背中だけを追いかけるよりも、いろんな人のいろんな良いところを吸収したい。いろんな人の、いろんな憧れる部分をすべて自分のものにしたい。
だけど、いろんな人に憧れて目移りばかりしているから結局だれにもなれない。だれにもたどり着けない。
私は何者なのだろう。
「誰にも似てないね」って言われるけれど、それはただ中途半端なだけな気がしてならない。
私はいろんな人になりたい。
全部うまく吸収して「化けもの」みたいになれればいいのに。
なんでもできちゃう、人が抱えている悩みをパパパッと解決できちゃうような、完璧人間みたいな、人間を超えた化けものみたいになりたい。
目標の人は一人にしぼればきっと最短距離でその人に近づける。私は欲張りで目移りしがちだから、一つのことを極めるまえに新しいものをみつけてしまう。そして中途半端な人間になっている。
それに加えて、一つのことにのめり込むことに少し尻込みもある。
私はなにかを極めることが怖い。
にわかであるときが一番楽しい。それを追及することで体験する辛いこととかを知らないまま、新しい知識を得られる楽しさだけを吸いとれる。
私は新しいものを見たり知ったりするのが大好きだ。深く知るまえにほかの新しいものに移行する。好奇心旺盛といえば聞こえはいいけど、なにかを深く追及することが怖い。その道だけをどんどん掘り下げてしまえば、それにかんして間違うことは許されない。期待に応えなきゃいけない。ほかのことのほうが楽しそうでたまらなくなる。自分の選んだものは間違いだったんじゃないかと、ふと不安になる。もしそれが無くなったとき、自分にはなんにもなくなる。
自分が選んだ道だけが間違いだったんじゃないか。そう思ってしまう。こっちにだっていいことはあるはずなのに。逃がした魚が大きいように、自分が選ばなかった選択はとても魅力的にうつる。その選択にだって苦労はあるだろうに。
私はにわかでいたい。ほどよいところでブレーキをかけたい。中間層でいい。中間層で満足だ。
だから、私は好きなものはたくさんあるけれど、本当に一番好きなものはなにかと考えたとき、まったく思い浮かばない。
私のnoteが、この性質をよく表しているように思う。絵も描くし、文章も書くし、写真も撮る。でもどれもいまいち本気になれなくて、中途半端な雑多なnoteになっている。
だけどどれも捨てられない。中途半端なものを集めて集めて、両手がいっぱいになっていた。それでもまだ新しいものに手を出そうとしている。
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