曇天の上

私は幸せに生きたかったんです、別に札束の風呂に入りたいだとか、ブランドを買い漁りたいとか、豪邸に住みたいとか、そんなことは思っていませんでした、昔までは
私は不幸せの中生きてきました、いじめを受けたり理不尽に怒られたり親からの期待に応えようとしたり、そんな親が離婚をし彼氏を作り家で子供の前で言えないことをしたり、その彼氏が私や姉に対して会いたいやキスしようとしてきたり腕を絡めてきたり、幸福の塔は削れていきました、削れて削れて幸福の塔はなくなってしまいました、それなのにずっと不幸は幸福を蝕んでいく、遂には幸福の塔があった場所には不幸の墓が出来ていました、底が見えないほど大きく深く空いた穴に1つ幸福を入れても底の遠くから落ちた音が聞こえるだけ、墓は埋まりません。

そして深くなり過ぎた墓は世間一般の幸福では満たされなくなりました、一般的な幸福を墓に入れても平にすらなりません、だから、もっと、もっとと、求めてしまうのです、だからこそ不幸な人間こそ強欲に、幸福を切望してしまうのだと

まぁそれと同じように愛情も欠乏してるんですけどね、全くもって困ったものです、私は愛されていないので、親からの愛なんてないも同然でしょう、捨てられない限り親としての愛は永続しますがそんなの私は愛ではなく一種の義務感だと思っています、恋人や友人から向けられる愛の感情に飢えているんです、だからこういう人に見られて評価される可能性のある物に投稿をしているのかもしれませんね 


さて、今回のタイトルの曇天の上はただただふと思っただけの事ですが
空を雲が覆って青空が見えくてもその上には間違いなく雲1つない快晴があるのだろうなと思ったからですね、私も曇天を晴らすか突き抜けて快晴を見たいです

苦手な人間


苦手な人間を話す前に個人的な解釈をしてみた時天然とは何かを考えついたので書きます
天然とは、甘やかされて育った人間の末路だと思っています
天然を持ってる人間は基本的に友人関係や家族関係に恵まれています、それゆえ自分の考えを全て聞いてもらい確かにそうだよねとか人の意見に対し自分の意見を言えば凄い!等と褒められてきた人間は悪意があるわけでも裏がある訳でもなく完全に環境的な問題もありつつ自分の意見は全てだと思っている節があるということです、そして人の意見を自分の中で曲解します、だから的外れな発言をしたり【えなんで?】と言った疑問をよく持つようになる、人の意見を無意識のうちに自分のものにして自分が思うように解釈をするから人と違う感性や性格を持つようになる、故の末路が天然、というものなのかと、実際私が見てきた中で厳しい環境で育ったり少し厳しい親に育てられた人間たちは天然にはなっていません、逆に親に甘やかされたり顔が良いからと肯定ばかりされている人間は天然になりやすい気がしています、私は天然が嫌いです、自分の意見を無意識に認めさせようと動いたりするところが余りにも不愉快、なので苦手な人間のうちの一人に天然が入ります
あとは全てが自分の思い通りになって欲しい人とかをいると邪魔だなぁって感じる、死んで欲しいとまでは思わなくても私の周りにはいないで欲しい、私の周りにいないのであればそれは死んでいるも同然だから

あとがき

なんか前回自己紹介をしたつもりで居たんですが他の方の見て見たら全然出来てなかったですね、ここに載せておきます

名前:水鏡
趣味:ゲーム、料理、運動
日常:猫と暮らしながらバイトをしています、学校にもいっています
嫌いな物、事:リアルの話ですが私の事を面白がった目で見ることや差別は普通に嫌いです、正当な差別であればいいが自分が理解出来ないからと批判する人が苦手です。
一言:視力以外健康診断A判定の健康的な鬱患者です
話しかけられるのは好きなのでコメントをしてくれようと思っている方はここでコメントができるのかは分かりませんのでブルースカイの方にわたくしのアカウントがありますのでそちらまで、水鏡と調べれば出るはずです

それではまたの機会にお会いしましょう

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