#129戦時下の生活と”普通の人々”
こうの史代『この世界の片隅に』全3巻(双葉社、2008年2月~2009年4月)を、発刊してすぐ位の頃に友人から勧められて読みました。その際に、実は世間で評判になっているほどには、著者は面白い作品であると感じませんでした。この点について、読後に思ったのは、実は普段から史料を読むことで”普通の人々”に歴史上で接しているからだろう、という気がしていました。偶然、研究対象としている人々が、いわゆる英雄豪傑でもなければ、有名人でもない、いわゆる”普通の人々”であるため、普段から自分が見ている世界だったからそのように感じたのだろう、と思いました。”普通の人々”と言っても、史料を残すことが出来るような、資産を持っている人や立場の人だろう、という異論もあるかと思いますが、ここでは一般的に教科書に登場するような著名人ではない、という点で”市井で生活している人々”という意味で”普通の人々”と言えるだろうと思います。
この夏に、戦時下の生活や食について記してある本を読んでみようと思い立ち、暮らしの手帖編集部『戦争中の暮らしの記録-保存版』(暮らしの手帖社、1969年8月)、暮らしの手帖編集部『戦争が立っていた-戦中・戦後の暮らしの記録拾遺集戦中編』(暮しの手帖社、2019年5月)、暮らしの手帖編集部『なんにもなかった-戦中・戦後の暮らしの記録拾遺集戦後編』(暮しの手帖社、2019年7月)を購入、『戦争中の暮らしの記録-保存版』から読みはじめてみました。まだ全部を読了できていないのですが、そこに描かれている当時の話は、空襲で焼け出されたという体験談や、折角結婚したのに連れ合いが兵隊にとられて二度と戻ってこなかったといった体験談も書かれていますが、勤労奉仕で工場に行ったことや学童疎開の体験、あるいは物が無いために苦労をしたという体験など、戦時下の体験としては、死や悲惨さが表されていない体験も多く記されています。
『この世界の片隅に』の主人公・すずも、空襲で命からがら水路に逃げ込む場面や、姪と自らの右手を爆撃によって失う場面など、直接的な戦争を描く場面として描かれていますが、それ以外の部分は、戦時下のごく普通の人々の、ありふれた日常生活が映画の大半を占めています。どうしても戦時下の話というと、空襲や原子爆弾、沖縄戦などを思い出しがちです。もちろんそれらは知っておくべき必要な出来事だと思いますが、それらの出来事以外の時間は、貧しいく大変な生活であるとはいえ、普通の人々の普通の日常生活が営まれていることも知っておく必要があるのではないでしょうか。
『この世界の片隅に』の主人公・すずの妹・すみも勤労奉仕で工場で働いていると語る場面が出てきますが、その際には若い兵隊さんに恋心を抱いているような描写が出てきます。戦争というと、派手で悲惨な話ばかりの時代であると思いがちですが、それ以外の部分では、否、それ以外の大半の時間は普通の人々は普通の生活を送っているということを広く知らしめると言う意味で重要さを『この世界の片隅に』は持っているように思えます。
漫画の発表や映画の公開から時間が経っているの、既に人口に膾炙していることかも知れませんが、映画としての派手な面白さは無いかも知れないけれども、こういう描き方こそが実際の普通の人々の歴史なのではないかと、普段史料から当時の人々の日常を垣間見ている立場から感じました。
余録
『この世界の片隅に』について、著者は単行本は読みましたが、まだアニメ映画については見れていません。どのように普通の人々を描いているかを気にしながら、今度見てみたいと思っています。
余禄(二)
この文章を書き上げた後で、少し時間があったので『この世界のさらにいくつもの片隅に』を見てみました。三時間近くの大作で、若干原作より内容を細かく補足するような形でアップデートされている印象を受けました。エンディングのアニメーションが、「その後はこうだったんだろうな」と思わせるものと、クラウドファンディングの協力者のテロップ部分が、リンの視点での描かれているのが、何となく原作にない部分で、見た者に溜飲を下げさせる作りになっていたなぁ、と感じました。