仏教における苦をめぐる誤りについて
◇仏教における苦をめぐる誤りについて◇
今回は、仏教における苦をめぐる誤りについて書いてみようと思います。
大乗、上座部を含む大半の系統において、苦を滅することができると考えられているようです。
しかし、これは大きな間違いなのです。
私という存在そのもの、この世界そのものが苦なのです。
私とは連鎖的に連なる識の連鎖であり、その一つ一つの識が苦なのです。
ですから、苦を滅するなんてことは不可能なのです。
釈迦は一切皆苦を言ったようです。
一切皆苦と言えば、一切すべてが苦なのです。
それがどうして苦が滅するという話になったのか。
次に、渇愛と苦の関係についてです。
仏教では、渇愛によって苦が生じるという考えがあるようです。
そして、悟りにより渇愛を停止させ、それによって苦を滅することができるという考えがあるようです。
このような考えも間違いなのです。
正しくは、苦が根本なのです。
渇愛によって苦が生じるのではなく、渇愛それ自体が既に苦なのであり、苦の連鎖によりさらなる苦が派生しているのです。
また、私という存在がある限り、渇愛という苦が滅することもありません。
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