絵解き東遊記(6)
■絵解き東遊記 その14 韓湘子と韓愈
韓湘子は、字を清夫といい、唐の韓文公(韓愈)の甥である。生まれつき気ままで、華やかなことを嫌い、淡泊で物静かだった。美女にも美酒佳肴にも溺れず修煉にはげんだ。
韓文公は、つねづね、韓湘子に勉学に励むように言っていたが、韓湘子は違う勉強がしたいと言って家を出て、師匠を求め、純陽(呂洞賓)、雲房(鐘離権)と出会って、道を伝えられた。
後、仙桃が紅く実っているのを見て、木によじ登って採っていたところ、枝が折れて木から落ち、体は死んだのだが、それは屍を残して仙人となったのであった。
韓湘子は韓文公にも道を伝えたかったのだが、生真面目な人だったので、まずは仙術で気持ちを動かそうとした。
干ばつの折、皇帝が文公に雨乞いの祈祷をさせたのだが、うまくいかず、困っていた。韓湘子は道士の姿になって祈祷で雪を降らせた。韓文公は、始めは信じなかったが、平地で三尺三寸という、道士が言ったのとぴったりの量であったので、ようやくこの雪を本当に道士が降らせたのだと信じた。
のち、韓文公が誕生日に大宴会を開いた時に、ふらっと韓湘子が帰り、美酒を出したり花を咲かせたりといった仙術を見せる。そのとき、花の中から二行の文字が現れた。
雲横秦嶺家何在 雪擁藍関馬不前
文公には意味がわからなかったが、韓湘子は、いずれはっきりすると告げて、宴が果てると去る。
やがて唐の憲帝の時、仏教を深く信仰する憲帝を諫めて、文公は左遷される。潮州に向かう途中で雪が降り、馬が進めなくなってしまう。
寒さに震えているところへ、韓湘子が現れ、ここが藍関だと教える。予言の通りになったと知った韓文公は、漢詩を口ずさむ。
一封朝奏九重天 朝、一書を天子様に奏上したら
夕貶潮州路八千 夕べには左遷されて遠く潮州だ
欲爲聖明除弊事 陛下のため害を除こうとした事
肯将衰朽惜残年 短い老い先など、惜しくはない
雲横秦嶺家何在 雲は崑崙に棚引き、故郷は遠い
雪擁藍関馬不前 雪は藍関を囲み、馬は進まない
知汝遠来応有意 そのつもりで遙々来たのだろう
好收吾骨瘴江辺 瘴江のあたりで骨を拾ってくれ
韓文公は、ようやく韓湘子のことを信じ、昔のことや真の道について語り合う。
翌日、韓湘子は瓢箪から薬を出して文公に渡し、一粒を飲めば瘴毒を防げると言う。別れを悲しむ文公に、韓湘子は、文公は遠くなく都に戻って再び重用されるだろうと告げて、ふらりと立ち去る。
のちに韓湘子は再び現れ、韓文公を連れて姿を消した。
■絵解き東遊記 その15 鐘離権と呂洞賓、碁を打ち気数を語る
韓湘子を仙人にさせた後、鐘離権と呂洞賓は蓬莱で碁を打った。
白牡丹のことや黄鶴楼のことを持ち出され、仙界の酒色の徒などと言われて、呂洞賓は恥ずかしく思ったが、鐘離権は師であるので、強く弁解はしなかった。
そうこうしていると、南北から一道の殺気が天の川に衝き入った。呂洞賓が仙童に見てこさせると、南朝の龍祖と北番の龍母が戦っている殺気であった。鐘離権が気数を見て、いずれ龍祖が龍母を倒すだろうが、あと二年は戦いが続き、人々が苦しむだろうと言う。
呂洞賓は、下界に降りて遼の簫太后を助けて北宋を倒し、戦争を早く終わらせれば、人助けにもなるだろうし、気数を変えることで自分の力を示せば、酒色の徒などと笑われなくなるだろうと思った。
そして呂洞賓は、ひそかに碧羅山の万年の椿の妖怪を遣わして簫后を助けさせ、自分は陣法を教えることにした。
呂洞賓は、六甲兵書三巻のうちの、陰文、迷魂、妖遁についてが書かれているという下巻を椿精に学ばせ、簫后が英雄を募集したときに応募するように言う。さらに、失敗したときは自分も助けるからとダメ押しをしたため、椿の妖怪も納得し、金光となって遼の幽州に下った。
■絵解き東遊記 その16 呂洞賓、南天七十二陣を布く
蕭太后は、遼の君主の后である。その頃、しばしば宋の国境を侵し、先の太宗が五台山の寺々を巡った折、太宗を囲んで困らせ、楊業と子の六郎すなわち楊延昭によって太宗が救い出されてからも、ずっと敵対してきた。
真宗が即位してからも、国策が定まっていない隙を突いて遼が深く侵攻し、真宗は王全節等を使ってこれを退けた。
蕭太后は、北宋の兵が強力だと聞くと、おふれを出して人材を募集した。すぐにやってきたのは、ひとりの男。つやのない鉄色(くろがねいろ)の顔、目は金の珠のように丸く大きく、身長は一丈に余るほど。筋骨隆々としており、勇ましくも恐ろしい姿であった。
これこそ椿の妖怪である。妖怪は碧羅出身で姓を椿、名を岩と名乗り、兵書・戦陣・謀で通じていないものはなく、武芸十八般で身につけていないものはないと言い、さっそく幽州団都統使に任じられた。
蕭太后から、武勇は十分だが、さらに軍師が欲しいと言われた椿岩は、師匠で、姓を呂、名を客という人物を推薦する。天文地理、典籍詩書、六韜三略、神数妖術で通じていないものなく、周の呂望(太公望)、漢の子房(張良)、三国の孔明でも右に出ないと言われて、蕭太后は呂客を輔国軍師に迎える。
呂客は、鮮卑、森羅、黒水、西夏、長沙の五国から、各々五万の兵を借り、南天七十二陣を布くという案を出す。
やがて各地から兵が集まると、呂軍師は椿岩、韓延寿らに先導させて軍を出し、幽州を離れ九龍谷に進ませた。
九龍谷を一望できる場所に七十二座の将台(指揮台)を作らせ、台ごとに五千の兵で守らせた。また、五つの壇を作り、それぞれに青、黄色、赤、白、黒の旗を立てた。そして内側に七十二の通路を開いて行き来できるようにした。
工事が終わると、鮮卑、森羅、黒水、西夏、長沙の五軍に、鉄門金鎖陣、青龍陣、白虎陣、朱雀陣、玄武陣を布かせた。
鉄門金鎖陣は、中央の九龍正路に布く。一万の長槍部隊を鉄門になぞらえて将台七座を守り、一万の軍は鉄の弓矢で鉄のかんぬきとなり、別の一万は鋭利な剣を取って鉄の棒となって、それぞれ七座の将台を守る。
青龍陣は九龍山の左。一万は黒旗を持って竜の髭をかたどり、もう一万は四隊に分かれ、宝剣を持って龍の爪をかたどり、それぞれ七座を守る。
白虎陣は九龍谷の右。宝剣を持った一万が四隊に分かれて虎の牙、短鎗を持った一万が四隊に分かれて虎の爪として、それぞれ七座の将台を守る。
朱雀陣、玄武陣は一万ずつの兵で、前後の六座ずつを、掎角の勢で守る。
さらに、中央の将台には玉皇大帝、梨山老母、四斗星君、二十八宿、北に玄天上帝と亀蛇、太陰星、太陽星、月孛星、長蛇のような東斗西斗南斗北斗、迷魂陣、西天雷音寺の諸仏、五百羅漢と、それぞれ扮装させた将兵を配し、天上の世界を模した南天七十二陣が完成した。
椿岩と韓延寿が提督となり、各陣は紅い旗で合図を送る。