絵解き東遊記(5)
■絵解き東遊記 その12 呂洞賓と雲房先生
洞賓は、姓を呂、名を厳、純陽子と号した。東華真君の生まれ変わりである。東華真君が鐘離権を仙人にしたときに、うっかり、「仙人になれたら弟子になってやる」と言ったために、世に降って鐘離権を師としなければならなくなった。
一説には、華陽真人の生まれ変わりなので、頭に華陽巾をつけるのを好むのだとも言う。
呂洞賓は唐の蒲州永楽県の人で、祖父の渭は礼部侍郎、父の誼は海州の刺史。貞元十四年(七九八年)四月十四日の巳の時に生まれた。母が懐妊しているときに、良い香りがただよって天上の楽の音が流れ、天から白鶴が下って懐に入ったという。
洞賓は、眉目秀麗で見目麗しく、仙人としての風格があり、力強い。額は広く、細い目はややつり目、両眉は鬢にかかっている。左眉の角にホクロがひとつ、足の下の方に亀のような紋様がある。
幼少時から聡明で、成長すると身長は八尺二寸。頭に華陽巾をつけ、黄色い単衣の上着を、太くて黒い絹ひもでしばっている。姿は張子房(漢の劉邦の軍師・張良)のようで、二十歳になっても結婚しなかった。
後に廬山で火龍真人に遇い、天遁剣法を伝えられる。唐の会昌(西暦八四一年~八四六年)の時に科挙を受けたが二度落第する。
六十四歳の時、長安の酒場で雲房先生(鐘離権)に出会い、終南山の鶴嶺に来ないかと誘われるが、洞賓は断る。雲房は黄粱を炊きはじめ、洞賓はうたた寝をする。
夢の中で、洞賓は都に行き、科挙に状元(第一位)で合格、出世し、結婚し、子孫に囲まれ、権勢を誇ったが、後に重罪を被り、家財も家族も失い、山をさまよい、ただひとり風雪の中で馬を止めて嘆いているところで目が覚めた。
すると、黄粱はまだ炊き上がっていなかった。
洞賓は悟り、雲房に拝礼した。雲房はさまざまに洞賓を試す。洞賓は身をもって虎から羊を守り、財貨にも美女にも心を動かさなかった。
雲房は満足し、洞賓を鶴嶺に連れ帰り、道を論じることにした。
鶴嶺で洞賓は鐘離権から、仙人とは何か、また仙人になる方法などを学ぶ。
やがて雲房のもとに天帝からの使いが来る。雲房は天仙となり、洞賓を残し、雲に乗って去る。
■絵解き東遊記 その13 呂洞賓と白牡丹
呂洞賓は、雲房の道、火龍真人の天遁剣法を得て、苦しむ人を助けて功徳を積む。
回道人と名乗り、淮水に蛟の妖怪が出たのを剣で斬り、漢陽では、酒代の代わりに壁に鶴の絵を描いた。この鶴が呼ぶと出てきて舞を舞い、再び壁に帰るというので、酒場は大賑わいになり、酒場の主人の辛氏は数年のうちに富豪となった。
ある日、洞賓が戻り、笛を吹くと、鶴が壁から洞賓の前に飛んできた。洞賓は鶴にまたがって飛び去った。
辛氏が、その場所に建てたのが黄鶴楼である。
辛氏の酒で酔った洞賓は、洛陽へ花を見に行った。
そこで絶世の美女を見つけ、心を動かされる。女は、名妓と名高い白牡丹であった。
洞賓は絶美少年(超絶美貌の若い男)に姿を変え、剣を随行する童子に変え、仙丹を白金二錠に変えて、白牡丹のもとに行く。
白牡丹の方も、美しい若者に心を動かされ、たちまち愛し合うようになった。
ある日、白牡丹は、家に来た二人の貧者をもてなし、施しをした。すると、二人は、呂洞賓は仙人で、その純陽を採れば不死となることができると教えてくれた。
白牡丹は、言われたとおりにする。
純陽を採られた呂洞賓は驚き、白牡丹の話を聞いて、自分は呂洞賓で、その二人は李鉄拐と何仙姑だと話す。そして、白牡丹に一粒の霊丹を渡し、飲めば凡人を脱することができると言った。それから童子を呼んでひと声かけて剣に戻して腰につけ、空へと去っていった。
呂洞賓は、それからも各地をまわって、心根の正しい人を助けたり、妖怪退治をしたりした。
後、宋の政和(一一一一年~一一一八年)には、宮中に出た妖怪を退治するため、金の甲をつけた武将を連れて徽宗の夢に現れた。
武将は義勇真君・関羽と名乗った。
徽宗が、「張飛はどこだ?」と尋ねると、今は陛下のために相州の岳という家に生まれていると答えた。
道士が、呂純陽と名乗ったために、洞賓であるとわかった。
この後、妖怪騒ぎは収まり、宮中は落ち着いた。
呂洞賓は妙通真人として人々の信仰を集めた。また、張飛の生まれ変わりだと夢で言われた武将は、岳飛である。