映画「グラン・トリノ」を再考する④
本稿は、
映画「グラン・トリノ」を再考する①
映画「グラン・トリノ」を再考する②
映画「グラン・トリノ」を再考する③の続きです。
7.エンディング
ウォルトが生前したためていた遺書により、彼が大切にしていた「グラン・トリノ」はタオに遺贈されます。そして、エンディングでは、青空の元、タオが「グラン・トリノ」を運転し、海沿いを走る映像が流れ、終幕を迎えます。
このエンディングで象徴的であるのは、まずは、タオに「グラン・トリノ」が遺贈されたことで、ウォルトの生き様がタオに継承されたということだと思います。
うん、たぶん、これは誰でも分かりますね。
しかし、この映画が見事なのは、そこに留まらないメッセージがあるというところです。
思い出していただきたいのですが、この映画のタイトルは「グラン・トリノ」ですから、「グラン・トリノ」がめちゃくちゃ重要なキーアイテムとして位置付けされており、「グラン・トリノ」をめぐって話が展開していきます。
まず、最初にウォルトはタオに車を盗まれそうになり、(当然ですが)拒絶。しかし、彼と交流を深めた後、「ガールフレンドを映画に連れていくのに使ってもいい」と貸し出しを提案しています。
しかし、この提案、先ほども述べましたが、ウォルトは「タオがステキな女性を獲得し幸せになるのならグラン・トリノを使ってもいい」といった、ウォルトの、彼が信じる「男らしさ」という価値観に根ざした善意が込められていると思います。(もちろん、遺言書を書いているときのウォルトはこういった感情だけではなく、様々な思いをこめて、タオにこの車を譲ろうと思ったのに違いありませんが)
しかし、エンディングでタオ運転するグラントリノの助手席に載せているのは、ガールフレンドではなく、かつてウォルトが生前飼っていた犬、デイジーなのです。
つまり、タオはウォルトから「男らしさ」の象徴である「グラン・トリノ」を受け継ぐだけではなく、「ケアの対象」である「デイジー」も受け継いでいることや、タオが自分の考えや思考に基づいて、自分にとって「大切にしたいものは何かと自分で考えることができる子なんだ、と描写されているのではないかな…?と私は感じます。
本作は、古き良き「男らしさ」をある程度尊重しつつも、それを大げさに美化していない点(※)、また、エンディングでは少年が老人から託されたものを自分なりの生き様に昇華させていく、という未来を期待できる、とても素晴らしいエンディングだと感じました。
※本作が2008年に公開されたということもあり、このあたりがあまり伝わっていないように感じることが残念です。今公開されたら、気づく人も多いと思います。
拙く、長い文章を読んでくださりありがとうございました。
ちなみに、実の息子や孫との関係修復についても気になるところです。ただ、息子たちはすでに成人していること、本格的に関係がこじれていたとすれば、フォード社員だった父親が息子のトヨタ勤務を許すとは考えにくいこと、そして息子たちがある程度幸せそうに見えることから、そこまで深刻な断絶はなかったのではないかと感じます。(おそらく亡くなったお母さんがうまく繋いでいたのでしょう)
ウォルトがこの選択をしたことは、結果的にさまざまな人々への贖罪に繋がっているのだろうと信じています。