12. 女優 加賀まりこ やすらがない郷
今、日本中が夢中になっている〝やりすぎ〟昼ドラ『やすらぎの郷』で、往年の大女優・水谷マヤ役を演じているのは大女優・加賀まりこだ。
彼女の〝素顔の演技〟はドラマでありながら、いつ何時、誰かが叱られるのではとハラハラしてしまう。
脚本家・倉本聰の真骨頂である虚構とノンフィクションの交錯。
『やすらぎの郷』が熱視線を受け続ける理由は出演俳優たちの私的な過去の色恋のみならず、その人生観や地の性格までもがドラマに大胆に取り込まれているからであろう。
「彼女はやすらがない。心に思ったことはなんでも口にしてしまう」
脚本で出演俳優たちを操っているはずの倉本聰がインタビューで思わず脱帽してしまうほど、このドラマの加賀まりこは癇癖(かんぺき)で、口さがなく、されど「口先ばかりでハラワタも無い」まさに江戸っ子らしい、パブリックイメージ通りの〝女優・加賀まりこ〟を演じきっている。
ボクが初めて加賀まりこを目の当たりにしたのは1988年7月のこと。
場所は横浜市郊外にあるTBS緑山スタジオの『風雲!たけし城』のプレハブの楽屋だった。
決して広くない粗末な作りの楽屋でパイプ椅子に腰掛けて紫煙をくゆらせ、殿(ビートたけし)の仕事終わりを待っていた。
この後、ふたりはお出かけなのだ。
この頃、加賀は殿と蜜月で密会を重ねていた。とはいえ、その模様は深夜ラジオ『ビートたけしのオールナイトニッポン』のなかで下世話な週刊誌に抜かれるよりも先に自らの口で筒抜けに語っており、その明け透けなカミングアウトは伝説的だった。
そもそもデートの発端は加賀からの猛アタックだった。
「自宅に電話してちょうだい」と加賀から言われ、殿が加賀宅に電話を掛けたのだが緑山スタジオのスタッフルーム、そのレオパレスばりに壁の薄い薄い部屋から電話したものだから出演者やスタッフに聞き耳を立てられて「弱っちゃったよ!」だの、電話を受けた加賀の実家の母親に話がなかなか通じず、「どちらさまですか?」「たけしーです!」と連呼するが「うちはタクシー呼んでません!」とガチャ切りされてしまっただの……。
ハナっから爆笑エピソード満載だった。
大女優との1対1の対面に照れた殿は六本木で軍団を合流させ、デートは宴会からのカラオケ大会と化した。
店を変えるたびに加賀は十八番の『天城越え』の絶唱を繰り返す。
宴は早朝を迎え、新宿でとある店に飛び込みで入ると先客としてホステスと熱唱中だった三木のり平と出くわした。
「あ~ら、のり平先生~!」と言いながら、加賀はまたもや『天城越え』を歌い出し、そのヘビローテーションっぷりに全員ズッコケ、大笑いのオチとなった。
そして、殿に随行したガダルカナル・タカが泥酔し加賀の頭にチンチンを乗せ「チョンマゲ!」とのギャグをかましたところ、事も無げに「私を誰だと思ってんのぉ!」と返した姐御肌には一同仰け反った。
セクハラも粋な返し一つで流れ去る大らかな時代だった――。
ちなみに、そのチンマゲ男が司会を務める麻雀番組『THEわれめDEポン』(フジテレビONE)では、加賀は今も咥えタバコのまま徹マンを満喫している。
あの日、25歳のボクが緑山で見た加賀まりこは44歳。
女優の凛とした佇まい艶やかさにたじろぎ、十代の頃に観た邦画『泥の河』のモノクロームの想い出が一瞬で蘇った。彼女が演じたのは廓船に棲む娼婦。その揺蕩う表情、その鮮烈な美貌がフラッシュバックした。
「俺よー、今、あの加賀まりこに口説かれちゃって大変なんだよォ!」
ラジオで参っちゃったよトークをしながらも殿は明らかにご満悦だった。
昭和22年生まれの殿にとって同時代の女神(ミューズ)だった加賀まりこからデートに誘われることが、どれほど男冥利に尽きる出来事であったか!
当時の加賀(カガ)様と言えば、現在のガガ様以上に最先端のセックスシンボルだったのだ。
しかし、逆にこの時分のビートたけしのセクシーシンボルぶりたるや、大女優に追いかけ回られるにも宜なるかななのである。
ボクは後に加賀まりこの自叙伝『とんがって本気』(新潮社)を読んで、殿の本懐を追体験した。
波乱万丈のザ・女優! 加賀まりこ――。
その「とんがり人生」は少女の時から突出している。神田生まれで神保町の古本屋に通い詰め、小学生の頃から澁澤龍彦訳の『マルキ・ド・サド選集』を愛読。映画を観るや子供ながらヘップバーンカットをしに一人で美容院に行く都会っ子。
今に続く辛辣な言葉責めやショートカットヘアへのこだわりの原点を見る思いだった。
そして10代で〝真夜中の教室〟と呼ぶ飯倉のイタリア洋食店「キャンティ」に出入りするようになると、マスコミに「六本木族」「小悪魔」と名付けられ、黛敏郎や丹下健三など、そこに集う文化人たちと縦横無尽に人脈を広げてゆく。
20歳、売れっ子アイドルの時「もう女優業とはおさらばしたい」と半年先までのスケジュールをキャンセルして渡仏。今まで稼いだあぶく銭を散財する決意で一人暮らしを始め、毛皮を買い漁る豪遊の傍らサンローランやトリュフォー、ゴダールやサガンと交友を重ねる奔放すぎる行動をとった。
大物スターとの恋や、結婚生活と離婚も経験。まだシングルマザーという言葉もなかった時代に未婚の母を決断して大いに世間を賑わすが、しかし、それは出産後7時間だけしか母親でいられなかったという哀しい経験も赤裸々に回顧する……。
2004年には年下のTBS社員との〝事実婚〟が報じられ「5年越しにアプローチしてやっと振り向いてくれた男性、これが最後の恋」とコメント。
そして今や、やすらぎの郷の主として君臨している。
加賀まりことは、その後も何度か仕事現場で一緒になった。
彼女は、いつも“やすらがない”女神だった。
忘れがたいのは、1988年の年の瀬に日本テレビで行われた『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』の第一回目のスタジオ収録。
この日、三田佳子の入り時間が大幅に遅れ皆が待たされ続けていると、ゲスト席の加賀がいきなり立ち上がり「タケちゃん! どうなっているのぉ!!!私も帰るわよ!」と凄んだ。
フリップを立てる黒子役としてスタジオの隅に居た軍団の下っ端のボクは、あまりにもの恐ろしさに縮みあがった。
そして、2011年4月14日――。
殿が司会のテレ朝『みんなの家庭の医学・3時間SP』にて大物ゲストが一同に会するなか、前室の隅っ子でボクが直立で待機していると加賀まりこが近づいてきて突然「貴方!!」と呼びつけられた。
「貴方にはいつかお会いしたら一言申しあげようと思っていたの!」
訳が分からず呆然とするボクに、
「貴方! 以前に雑誌の記事で私の本を褒めてくださったでしょう。その節は……ありがとうございます」
と彼女は深く一礼した。
それは7年も前に、とある雑誌(『日経エンタテインメント!』)に書いた『とんがって本気』の書評だったにもかかわらず……。
この収録の当時は、沢尻エリカが「別に」発言をきっかけに生意気女優として世間の顰蹙を買っている時期だったため一か八か加賀に軽口を叩いてみた。
「杉村春子の『女優の一生』なんて本がありましたけど、加賀さんの『とんがって本気』こそリアル『女優の一生』です! そして今こそあの本を沢尻エリカが読ませるべきです!」
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