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【博士と虎人舎の日記】★24年12月20日(金曜)渋谷に自転車で「渋谷のラジオ/本棚」〜渋谷の画廊〜渋谷の小杉湯〜渋谷で『さよならブルーハーツ』の著者・外山恒一さんとの対談。体調不良のまま自転車で帰宅。


6時起床。

昨晩途中まで見ていた
『平熱大陸』の後半部分視聴。

日記を書いてアップしたのは朝7時。早いぞ。

阿佐ヶ谷駅前へ。
満を持してジムへ。

果たして紛失していたiPhoneは預かられていた。
(iphoneを撮れないから財布を撮った)

ホッとする。

今日は運転手&坊やがいないのだが、
久々にUber Eatsのバックを背負って、
ひとり自転車で渋谷を目指す。

10時50分。
渋谷のラジオへ。


なかり到着時刻が早かったが、、
建物がを探して探してたどり着く。

控室、
女子3人がお仕事中だったが、
淡々と何食わぬ顔で事務をしながら過ごす。

フタッフの大橋和人さん。
昨日細田昌志さんとのライブにも来ていた。
RINGSファン。しばしお話。

キラキラのTシャツも持っていた
筋金入りのラジオファンだ。

1時間後、原カントくんと、
フランス在住の画家、村中誠さんが登場。
現在個展を銀座で開催中だ。

富城マネを含めて3人にカレンダーを買っていただく。

「渋谷のラジオ〜渋谷の盆棚」
1時間。生配信収録。
村中誠さんと会うのは2回目だ。

本当に数奇な運命でボクと出会い、
ボクの『本業2024』の表紙絵に使われた。

元々はミュージシャンであり、
役者であり、そして渡仏すると
一流のシエフとなり、
そして画家になった。

ある種の天才だ。

原カントくんと別れ、
村中さん、富城マネと一緒に、
近くで開催されている、
「生きている私たち」
のグループ展へ向かう。

なんと画廊には誰もいなかった。

持参した絵ハガキを200枚、補充しておいた。

自転車で原宿の小杉湯へ。


ビルの中は、
野性爆弾のクーチャンのアートが各所に。

風呂上がりに湯冷めをしたのだろうか、
急激に一気に体調不良になる。

確実に発熱をしているだろう。
鼻水と咳が止まらず、関節が痛くなる。
息も絶え絶えだ。

そのなかでも、
『さよならブルーハーツ』を読み続ける。

30歳の頃、この本に巡り合った。
ぶっ飛ぶほど素晴らしかった。
そして著者について忘れていた頃、
都知事選に立候補して、
ぶっ飛んだ政見放送で、世間に知られた。
昨年、高円寺に「人民の敵」という店を出し、
30年を経て初めて著者に会った。

そして今回、対談で初めて話すのだ。

意気込みはあるのだが、
とにかく体調不良。
フラフラだ。
もう一歩も動けない。
休ませて欲しいと心に邪念が過る。

ビルのなかでも
出口がわからなくなる。

朦朧としながらも渋谷、
道玄坂のぴあへ。

此処に着くのも、
迷い道クネクネだった。

待合室で、担当の一柳さんと
昨日の外山恒一さん、
と中森明夫さんとの対談を見る。

外山恒一さんが到着。

本番前に
風邪薬と栄養剤を大量に飲む。

19から21時まで
一度、休憩を入れただけで、
喋り倒す。
ボクが熱烈に思い入れを語っている。

『さよならブルーハーツ』は、
尾崎豊の死から始まり、
親子で楽しむブルーハーツのライブに
ビラを巻くまでの日記だ。

ボクにとっての『ライ麦だけの捕まえて』
のような永遠の青春の書だ。

そして、その後の獄中記には興味津々だ。

しかし、これだけ体調が悪くても、
本番になれば、できるもんだな。

外山恒一さんはここまま軽自動車でやってきて、
福岡に運転しながら帰るということ。
しかも高速道路は使わない。

ボクもフラフラながら、
そして帰り道を何度も間違えながら、
なとか鷺ノ宮まで辿り着いた時は、
22時だった。

自分で自分を褒めてやりたかった。


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12月24日の町山サンタが楽しみ。

1月11日。

今日、情報解禁に。

2月4日


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水道橋博士
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