見出し画像

9月6日(金曜日)中学時代の「おともだち」との同窓会でオーム真理教事件の死刑囚・同窓生の中川智正を偲ぶ。

8時起床。
ライブラッシュから開放され、
気が緩んだ金曜日の朝。

昨日、武田砂鉄さんとメール交換。
ライブの日程を探る。

大きめのプレートでモーニングを作る。

11時半、ビビリー金曜日。
松村邦洋くんのモノマネの
動物パンダシリーズに爆笑。
なんであんなに面白いのだろう。

今日は中学同級生巡礼の日。
岡山大学教育学部附属中学校の
「おともだち」に会う。

ロックスター・甲本ヒロト、
オームの殺人医師、麻原彰晃の主治医、
中川智正を生んだ、
漫画『20世紀少年』のようなクラスだ。

12時過ぎ、久保田正志くんが来宅。
今年の6月で退職した。

それまでは東大法学部から、
参議院事務方へ就職。

最終的には
参議院法務委員会調査室室長で職を終えた。

唯一、ボクが同級生で
間断なく連絡を取り続けた相手だ。

特にボクが参議院議員となり、
職場を共にしたときは感無量だった。

職務規定を守りながら、
何もわからない新人1年生議員を
影でサポートしてもらっていた。

歴史学者として
既に歴史研究本3冊を著しているのだが、
最新刊はノンフィクションだ。
単行本化に帯を頼まれたが、
概要のみで一筆啓上、
完読はしていないままの
上梓となり、献本に訪れた。

帯にある「ケツ」とは
中川智正の中学時代のあだ名だ。

本の内容は中川智正死刑囚に、
20年以上の歳月をかけて、
620回もの接見を経て、
書かれた畢竟の大作だ。

医学領域、精神疾患との
関連に踏み入れている。

中学時代のボクも登場するが、
今すぐ読みたくなった。

ボクの倉庫部屋へ。
仕事を退職したら、
博士の倉庫の管理人をしたい、
と言っていたからだが、
どうやら目的が違ったようだ。

この倉庫に居た時に偶然にも枝前社長からLINEが入る。

家を出てバスに乗って阿佐ヶ谷駅へ。
商店街を横切る。
時計修理店で殿のコマネチ時計に息を吹き込む。

ちょうど、本日はベネチアで新作プレミア公開を
されている日だった。

タクシーで中野へ。

中野中央の川口有美子さん宅兼事務所へ。

ご実家でもあるのだが、
ボクが10年住んでいた、
アンサンブル新中野の目を鼻の先だ。

一度だけ、丸の内線車内で会って、
「今、ビートたけしの弟子で芸能界に居る。
ボクの他に甲本ヒロトが「あのねのね」
の弟子になったらしい」
と立ち話をしたのは、
もう40年近く前なのだ。

川口さんは2010年、第41回、
大宅壮一ノンフィクション賞受賞作家だ。

その頃のボクはNHKで『ドクターG』
の司会者だったので、
関連資料として読んだが、
中学の同級生であることには
ピンと来てなかった。

ボクが彼女の記憶が薄いのは、
彼女が中学2年の時に
東京に転校しているからだ。

大人になっても旦那さんの仕事の関係で、
長く海外在住であったので
接点が無かった。

久保田くんと川口さんは
小学校からの同級生で、
ふたりとも親が官僚であり、
官舎に住む子供として
親同士が長く仲良しであることを初めて知る。

外出から帰宅した妹さんが
久保田を「おにいちゃん!!」と呼び、
「とにかくピアノが上手だった」とのこと。
久保田がピアノ弾きであることなど、
今日、初めて知ったのだから。

事務所は中野の洋館を改装しており、
女性職員の方が溌剌と働いている。

緑に囲まれ、風通しの良い、
空間だった。
川口さんの過去作もいただく。

難病であるALCの患者の擁護運動に寄り添っており、
その団体の要職でもあり、厚労省にも関連している。

れいわのボクと同期の天畠参議院議員の擁立の
関係者でもあり、雨宮処凛さんのお友達でもある。

事前に知らなかったが、
17時に焼き肉屋の予約をとってあるとのこと。

家の前に夕焼け。
しかも何処かで見たことがある。

『逝かない身体』の表紙が、この夕焼けだった。

そして大通りの観光料理店へ。

「野武士」というお店が閉店して、
「竜兵会」がここで開催されていることは
知っていたが、初訪問。

偶然座った奥座が竜兵会の額装の下であった。

韓国料理らしい韓国料理で美味しい。

途中から、難波吉雄医師も参加。
本来は脳外科医なのだが、
今は、国立病院機構本部で管理職だ。

中学時代の記憶がボンヤリの
ボクの記憶に
彼が鮮明に残っていたのは当然だ。

岡山駅の始発から終点の東山にある
学校に通うチンチン電車に乗って、
いつも一緒に登下校していたのだ。

それよりも、驚いたのは、
20代前半、
彼が居た東大病院時代にボクが、
不眠症として通院していたこと。

記憶の断片もない。

思い出話は止め処なく続く。
退職して、長期に渡った本を書き終えた、
久保田はハイテンションで、語る、語る。
仕切る、仕切る。

何度も、「おまえは巨泉か!」
とたしなめるほどに(笑)

しかも彼は、中学3年間の出来事を全て、
史家として文字化、記録しているので、
同級生の誰の何の話も進路も家族関係すら、
すべてを知っているのだ。

難ちゃんから、
「小野くんが一年生の時の
3年を送る会に、
『およげたいやきくん』という題名の戯曲を書いてきて、
一切、他人に手を入れさせず、配役を決めて、
舞台監督もつとめていた」
という話は何一つ記憶にない。

「中1で既に世界観があって
 劇中の台詞を変えたら怒られていた」とのこと。

クラス会の選挙やクラス活動も熱心なこと、
中学の頃に始まる差別問題などにも、
断固として反対していた話などなど。

逆に青春の闇に絡み取られ、
高1のときには休学、闇落ちするのだが、
中学生時代からその兆候があったことを
後に医師となる彼は興味深く観察していたのだ。

なんとボクの「芸人としての病」
のカルテは既に中学生の頃から始まっており、
ボクという精神疾患患者の
主治医は既に居たのだ。


そして我々は、
死刑囚の中川智正を偲び、
「喪」と弔いの会話。

くだらない中学生の男のバカ話を
中川さんに呆れられながらも
何時までも語っていた。

そんな現世の様子を、
先に逝った竜さんが上から見ていた。

飲むほどに酔うほどに話は弾んだが、
再会を期して、23時に散会。

割り勘という慣習に久々に体験した。
同級生だもの。

ボクはタクシーでまっすぐ帰宅するのだが、
娘のお迎えにタッチの差で間に合わず。無念。

帰宅後は、ベネチアの殿の記者会見、
プレミアム上映後のスタンディングオベーションを
見ながら晩酌。

https://x.com/cinemas365/status/1832337522627874880

今日、献本されたものを読み耽る。

武田砂鉄さんのTBSラジオを聞きまくる。

睡眠バスに乗り遅れ、朝4時頃就寝。


サポートありがとうございます。 執筆活動の糧にして頑張ります!