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21/3/9文庫版『藝人春秋3』発売日の恍惚。文藝春秋サイン入れ。高円寺『まら」で食事。

博士の悪童日記2021年3月9日(火曜)

4時起床。昨日の禁酒には成功。

屋根裏部屋になってからは夜明けが楽しみ。

中島みゆき風に「ファイト」!!

本日の名言。

「ただ存在しただけでなく、
人生を生きた人物として記憶されたい」


   シヤーリー・テンプル(アメリカの女優・外交官)

日本でも海外でも
「子役の呪い」が言われるが、
テンプルちゃんは例外だ。
1930年代は「テンプルちゃん」シリーズで
全盛期を送り、
天才子役〜母親〜外交官とキャリアを重ねて、
平穏ながら完全な人生を送ったことで
全米で知られている。

wikipediaでおさらいしても、
改めて驚くべき人生だ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AB

回想録ですら他人を非難することもなかった。
その人格。

つまり谷や底もない
「女の一生」を送る人もいる。

この名言も平凡なフレーズだと思われるが、
ひとが本を書く動機には当てはまる。

人生より永く生きながらえ、
時代を超えてバトンとして残るものが「本」だ。

それはもう我が子のように愛おしい。


本日は、ついに『藝人春秋3』の発売日だ。

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昨日の日記を書く。
「ボクの好きな先生〜近田春夫さんとの想い出〜」

7時、食卓。

本日も昨日のテイクアウト「芋煮』ベースの発酵MIXを食す。

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10時集合の散歩部も本日は中止。

悪化している浮腫の様子見だ。

しかし、連日、地下室から屋根裏部屋への
引っ越し上下動の移動で
十分な運動にはなっている。

地下室の引き出し式CD棚に
長年眠っていたCD。
元・ スズキ秘書が
音源をパソコンに入れていったので、
随分、コンパクトになっていたが、
それでもまだある。

改めて落語やコミックソングのお笑い系、
懐メロ系が多いのだな。

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本やこういうものを
ダンボールやタイトルが隠れるところに、
置いてはならない。
それは作品が埋葬されているのと同じことだ。

12時過ぎに、ボクの運転手&社長芸人、
ジョニー小野が来宅。

アーロンチェアを運び、
SPIDERやビデオや
DVD、ハード・ディスクレコーダーの
配線も全てお任せ、
ハウスクリーニングが本職であるとはいえ、
実に頼りになるものだ。

食事の時間がないので、
我が家でスープストック。

ジョニーも大好きだという大定番。

オマール海老のビスク。

「ビスクって何?」

「ビスクは、海老とか蟹などの甲殻類を使って作る
 濃厚なスープの総称ですね」

「ОK。ジョニー!」

薀蓄王のジョニーはボクのグーグル代わりでもある。


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1時過ぎには、MAZDAに乗って
紀尾井町・文藝春秋へ。

今日は、トラックで運ばれてくる、
出来たてホヤホヤの文庫にサインを入れ、
献本リストを編集者と共有する。

ジョニーが四谷を左折して、
ホテルニューオータニ側から文藝春秋へ向かった。
何時ものコースとは違うので、
文藝春秋のビルの見え方が違う。

この社屋の都会に佇む建物としてのカッコよさ、
その長き伝統が培うスペシャルティについては、
藝人春秋シリーズの冒頭から書いてきた。

初めて此処を訪れるものには
必ず特別の味わいを感じるものだ。

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初・文藝春秋本館前のジョニー小野も、
その気持はひとしおであるだろう。

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担当の斎藤女史に迎え入れられ文庫部へ向かう。

新刊棚にお邪魔している。我が子よ。

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並べられた、
我が子たちは2と3の兄弟で鎬を削り、
壮観だ。

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例によって長年の担当・目崎さん
(本作では、ついに冒頭と解説、両方に登場する!)
オチつきの近況&サブカル四方山話しを
繰り広げながら、
粛々とサインを入れていく。

15時には終了し、
皆でTBSラジオ「たまむすび」
の町山智浩さんのコーナーを聴く。

完璧な煽りだが、
HATASHIAIの顛末などは、
山ちゃんも赤江さんも知らない話しなのだなー。

町山智浩さんの、
この入魂の1万字徹底文庫解説で、
一度は単行本の不発で、
死にかけていた本としての使命に、
再び命を吹き込んでくれた。

いや、後日談を丁寧にウラとりして、
ボクがやっている、
わかりにくい
全ての伏線を回収してくれた。

初めて読んだ時、
「これで何時死んでも良い」
と思ったものだ。
これは比喩ではなく。

町山さんもボクも同じ年で、
今や何かとトラブルが巻き起こる頃合いだ。

お互い世間にも叩かれてしんどい時でもある。

でも清志郎風に「君がボクを知っている」
と仲間を信じていれば、
必ずや、何度でもリターマッチが
出来るのだ。

改めて、3年前にボクがリングで
真剣勝負を戦ったHATASHIAIでは、
ボクも当時は手痛いダメージを受けており、
検証していない感想が多いが、
今回、この文章と写真は驚いた。

試合レポートとして
名文であるばかりではなく、
あの頃、ボクが必ず着ていた、
モハメッド・アリのTシャツの意味まで、
考察してくださっていて、
ありがたいかぎりだ。

格闘技で誰にも望まれない
試合をするものは、

「ただ存在しただけでなく、
人生を生きた人物として記憶されたい」

からなのだ。

その後も杉山マネを交えて献本会議を真面目に。
予定より早めに終了。

帰宅後、さらに家内引っ越し作業。

18時過ぎに、
高円寺の山形料理の名店「まら」へ。

高円寺で飲食店を多数展開する、
『どりーむずかむとぅるー』の清水社長と、
阿佐谷ロフトLIVEの事務会議、
ジョニー小野との社長同士の
顔合わせ&ビジネス会議。

ボクと清水さんとは、
お互いが驚くほど人脈が重なり、
周囲が共通の知り合いだらけで、
超高速で次々と合意と決定。

特にスープストックの遠山社長が
経営者として憧れのひとであるところ。
さっきまで、LINEで遠山社長と
連絡を取り合っていたのだ。
偶然にしても、まるで台本があるようだった。

そのまま、ジョニーと「まら」で夕食。

昨日、禁酒に入ったばかりなので、
ラ・フランスのジュースで乾杯。

味噌漬け豆腐。

せりと鶏肉のゴマ和え。

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「まら」の名前を高らしめた伝説の音飯丼。
「音飯」は「まら」の前のお店だが、
そこをボクに紹介してくれたのが九龍ジョーだ。

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山形名物の芋煮。10秒動画で。

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ここまで食べてもさらに
「味噌おむすび」をお代わり。

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50歳を過ぎて、脱炭水化物のため、
もうお米は食べないと公言してきたが、
此処10年で最も食べたであろう。
しかも、酒抜きで。

帰宅後、Clubhouse を少々。
もうすっかり電池切れしていてスタミナなく早めに終了。

11時には就寝。

今日一日の恍惚と産まれたての文庫を抱いて眠る。


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