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22. ユーミンに捧ぐ! 「守ってあげたい」

 

「守ぉーってあげーたいぃ♪」
人生で何度目のマイブームか。
昨今、松任谷由実のベスト盤をまた頻繁に聴くようになった。

2017年7月1日──。
 妻と中学受験を控えた小5の娘と共にユーミンの母校でもある立教女学院のオープンキャンパスへ向かう道すがらもカーステレオからは彼女の曲が流れていた。
『やさしさに包まれたなら』〜『守ってあげたい』〜『ダンデライオン』と聴き通すと娘を持つ親の心情とも重なり思わず感極まってしまう。

 校内に足を踏み入れると、新緑の藤棚の向こうに雨に濡れた紫陽花が顔を出し、礼拝堂からはハンドベルの調べが聞こえてきた。
 目に映る全てはメッセージを帯びていた──。
此処は、少女時代のユーミンを育んだ大切な箱庭だ。

ユーミンが男女を問わず幅広い年代から愛されていることは数字でも実証されている。
 オリコン史上で女性最多となるアルバムのミリオンセラー通算10作。
 さらに70年代から現在に至る全年代でアルバムチャートの首位を達成した唯一の全世代対応型ミュージシャンでもある。
 それに加えて山田邦子や清水ミチコらの誇張しすぎのモノマネ芸に対しても昔から決して憤慨することもなく、アーチスト然としない大らかな気概を貫き通してきた。

2016年10月30日──。
 日本テレビ『行列のできる法律相談所』にユーミンがゲスト出演した。
 縁のある芸人として、ビビる大木、いとうあさこ、天津・木村も登場し、ユーミンからの驚きのプレゼントやプライベートでの知られざる交流が語られた。
 現在、ロケバス運転手に転身したとも囁かれる天津・木村に至っては、かのエロ詩吟がなんとユーミンのお気に入りで、その日も本人を目の前に一節唸る羽目になった。
「吟じます。あんなに恥ずかしがってたのにぃ~ 事が終わったあと彼女はぁ~ スッポンポンでお茶飲みに行くぅ~ あると思います!」
安定のエロネタと不安気な決めのカメラ目線にユーミンは爆笑した。

 番組には、ボクがCBC『ゴゴスマ』でいつも共演しているユージも出演していた。そこで彼に後日、番組の合間に「ユージとユーミンはなんでユージンなの?」と尋ねてみると、
「もともと母がユーミンと友人で、ボクが子役でバックダンサーだった頃から仲良くしてもらっていたんです」と教えてくれた。
 なんと『行列』出演はユーミン直々の指名でもあったそうだ。
「ところで、そういう博士はユーミンさんと会ったことがあるんですか?」
「あると思います!」
 少し得意気にボクはユージに言い返した。

 ボクがユーミンと初めて会ったのは有楽町のニッポン放送だった。
 1991年、浅草キッドは『オールナイトニッポン』(以下ANN)2部(月曜深夜3時)のパーソナリティに抜擢され、半年後、土曜夜11時からの2時間枠へと栄転した。
 当時、土曜深夜1時の枠には『松任谷由実のANN』が君臨。1988年から99年まで11年間続いたこの名番組の露払いをボクらが2年半務めることとなった。
 土曜枠に移動してしばらくはユーミンと遭遇する機会はなかったが、何度も差し入れを頂き恐縮至極のところ、とうとう、ある日、ご本人が予告なしで我々の生放送のブースの中にまでツカツカと乱入してきた。
 一瞬、誰だかわからない-----。
「お! これはこれは、若井小づえ師匠が遊びに来てくださいました」
「バカ野郎ッ!」
ボクの咄嗟のギリギリのアドリブにユーミンが笑いながら突っ込こむ。
 放送後、ニッポン放送の関係者からは叱られたが、この初対面のやりとりで我々はユーミンに顔を覚えてもらえた。それゆえ『行列』での芸人との逸話の数々をボクはかつての自分と重ね合わせて聞いた。


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 2007年9月13日――。
 代々木競技場第一体育館で行われた『ユーミンスペクタクル シャングリラⅢ』に光栄にも招待され赴いた。
 松任谷夫妻の夢であった、サーカスとコンサートの合体を現実に叶え、その規模と演出は回を追うごとに大スペクタルになっているとのこと。
 この日、ボクはテレビ朝日のスタッフの橋渡しで、生のユーミンを初めて客席から見ることになった。
 しかも、4歳になったばかりの長男タケシと二人きりの観覧だ。

 ユーミンと共演するのは、国立グレートモスクワサーカス団。そして、武田美保とヴィルジニー・デデューの日仏のシンクロ五輪メダリスト。
 水陸両用の舞台に驚愕し、空中ブランコや綱渡りに息を呑む。
 舞台美術、演出、照明、特効、パフォーマンス、全てが世界最高峰芸術的なプロフェッショナルの頂点を極めていた。
 今、振り返っても、2020年の東京五輪・パラリンピックの開幕式で再演して欲しいほどの超絶的な完成度のステージだった。

 息子を膝に座らせたままノンストップの2時間半。子供にとっては初めてのサーカス体験だ。「スッゲー」と何度も声をあげ興奮していた。
 幼子はこの日見た光景を一生懸命言葉にし、その日、絵日記に書き残した。

「おおきな、たいいくかんに、いっぱい人がいるのでビックリした。なにがはじまるのかワクワクドキドキ、ユーミンさんが出てきてピアノをひきながら、おおきな声でうたった。光がアチコチから出てきてクルクルまわってプールで女の人がおよぎながら足でおどって人魚みたいだ。いつのまにか水がきえたり、ふえたり。ふうせんがいっぱい出てきて、てんじょうからブランコがおりてきて、人がおちそうになるほど回って、でもおちない。さいごは水の中へ人魚がいなくなって……かなしくてさびしくて泣きそうになった」

 これは、4歳の秋にパパと二人きりで見た息子の〝シャングリラ〟だ。

 ステージが終了。万雷の拍手が続くなか「ユーミンも楽しみにされていますので楽屋にどうぞ」とスタッフに囁かれ控室へと誘導された。 
改めて見廻すと、楽屋挨拶に同行するこの夜の綺羅星の如きVIPの顔ぶれと人数にビビってしまう。

 子供と二人だけだと楽屋で注目されてしまうと予想して、その場にいたたまれない圧迫感を感じた刹那――。
「タケシ、逃げるぞ!」
ボクはそう叫ぶと、子供の手をギュッと握り、列を抜けて駆け出した。
 代々木体育館のバックステージは巨大な迷宮だ。出口もわからない。
 扉を開けると、白塗りで半裸のロシアンダンサーが……。次の扉を開けると、付け鼻のピエロ軍団が……。さらに扉を開けると、着替え中の水着姿の金髪の女性たちが……。

ボクも息子も、先刻までの夢のシーンが反転して続く目眩く現実に戸惑いながら最後には肩で息をしていた。
ハァーハァーハァーハァー。
父親の取り乱した姿を見上げながら、息子が不安気に一言。
「パパ、ちゃんとボクを守って!」

【その後のはなし】

2017年12月22日──。

ユーミンからのラブコールに応え、ビートたけしがニッポン放送『松任谷由実のオールナイトニッポンGOLD』に生出演した。
 ボクは当日に母を亡くしたことを殿に報告するため、この生放送の現場を訪ねた。
 ユーミンは1985年8月29日に『ビートたけしのオールナイトニッポン』にゲスト出演しており、ふたりの共演は実に32年ぶりのこととなった。

リスナーから「北野映画でユーミンを使うとしたら役柄は?」との質問に、
「キャバレー歌手で相手がヤクザ」
「おっ、いいですねぇ」
「それでね、ヤクザが撃ち込みに行って死ぬときにね、『ラヴ・イズ・オーヴァー』を歌ってんの」
「ウハハ!欧陽菲菲さん好きですよ」
「『恋の十字路』も好きなの俺。キャバレーそのまんまの感じじゃない」
「わたしキャバレー好きですよ。時々そういう回路で曲作る時ある」
「俺が売れない頃、キャバレー行って、綾小路きみまろが司会やんの、それが上手いの。ボンボンしゃべって。ゲストがケーシー高峰、シモネタばっかのオンパレード、ドッカンドッカンウケるわけ。そこでその所属のクラブ歌手がチャーリー石黒さんぐらいのバンドでタカッタタカッタって出てくるわけ」
「あ~いいなぁ」
「それでラメの衣装着てダーって外国の歌唄うの」
「青江三奈みたいな感じ?」
「そう。映画として日本の高度成長の時代のワルとキャバレーとお笑いが組んだってヤツを今、台本書いてんだけどやりたくてしょうがない」
「えーほんと、やりたい私!」
「やってくださいよ」
「演技力はまったくないですけど」
「歌うだけでいいですから」
「歌うだけ、いいなぁ。~ホント」
「そのかわりヤクザの男に騙されちゃうんですよ」
「いい別に!演技がなければ是非歌いに行きます!」
 ユーミン出演の妄想北野映画に、ふたりの話は盛り上がった。
 母の訃報を伝えに言ったのに、話の全てがボクのツボで大笑いしていた。
 また、その日、ユーミンが両親の話に触れ、
「母親がね芸事が好きで大正モガなんですけどね、あらゆるもの観に連れてってくれたの」と、実家は呉服屋なれど芸人としてのDNAを授かった経緯を説明した。そして続けざまに、
「(観に行った)市川雷蔵のエロ~い時代劇とかは、映画と映画の間にミカド(池袋ミカド劇場)とかのヌードショーの宣伝とかが入ってくるわけよ」
と今もエロ詩吟をこよなく愛する歌姫の性への原体験を披露していた。

 そう言えば、32年前のラジオでビートたけしと初共演したときも、ふたりの丁々発止のやりとりがあった。
「私、ピンクレディーとかの前にスパンコールの短いのとか着てたからねー」と言ってのけると「私、あんまりオンナっぽくないから、そいう格好しても。小柳ルミ子みたくなんないから、バービー人形っぽいわけ」
 と自らの女性としての無機質性を語っていた。

 これに対して殿も、目の前にいるユーミンに対して、
「セックスを想像できないタイプだよな、なんかバイブレーター使ってる人みたいでよぉ。ぜったい道具を使ってる気がする!」と言いたい放題だが「ホント! そうですかぁ!」とユーミンもその例えには爆笑していたのを思い出す。  
 この際どい洒落がわかる感じが、姉御肌を醸すユーミンらしさであろう。

 時は流れ、2018年大晦日――。
 平成最後の紅白歌合戦。フィナーレは白組、サザンオールスターズ。
『勝手にシンドバッド』を唄う桑田佳祐に、その日、サプライズでNHKホールに現れたユーミンが、桑田の頬にキスをし淫らに絡み合い大団円の熱唱に花を添えた。それは、女・荒井由実の幼心に刻まれた市川雷蔵にまといつく女の妖艶な姿が化身した瞬間であった。
 それはもう実にエロティックな「胸騒ぎの腰つき」であった。

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水道橋博士
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