花子の一生
第4章 「宮本ちゃん(みやもっちゃん)」
花子が小3の時、習い事が流行った。
友人達はこぞって習い事に通い始め、ピアノに習字に、そろばん。通っていない子供を数えた方が早いくらいだった。
「人並み」を、好むチャ子は、言うまでもなく花子と恵子に習い事を強要してきた。
恵子の成績は、そこそこ、良かったが、悪筆だった為、書道教室に通う事を強要された。
主義主張。そんなものは、この姉妹には持ち合わせていない。
胸中を明かすならば恵子はバレェに通いたかった。以前、バレェ教室のチラシを見ていた恵子は、チャ子に言われたことがある。
「バレェなんて、将来、なんの足しにもならんわなぁ」
足し。
チャ子の言う、足し。とは、それで食えるかどうかを意味している。
頼んだところで、やり込められるのは目に見えていた。恵子は花子と違って分別があったので、あえて言わなかった。
花子はというと、習い事などしたくないというのが本音だった。
人並みを人並みに出来ない花子は、恵子と違ってどんな習い事をしても、一悶着あることは分かっていた。おそらく、チャ子も想定内だったはずだが、人並みというものに取り憑かれ、人並みを花子にさせたかったチャ子は、無茶な事を言い出した。
「頓田ビルの2階でやっているピアノ教室にお願いしてきたし、明日から行くで」
「ピアノ?」
夕飯を食べている最中、花子に突然の召集令状が届いた。
それを受け、戸惑った花子の眉は8時20分を指した。
花子だけではなく、父の政夫も恵子も箸を止めて困惑した。
「お前、ピアノて、それはあかんやろぉ。わしらの仕事に支障をきたすで!」
政夫は強い口調でチャ子にそう言った。
政夫は新聞記者をしていて、一家は、二階の社宅に住んでいた。
当然、一階には多くの記者が定期刊行物の新聞記事を書くべく凌ぎを削っていた。
そんな一触即発の職場に花子が弾く、下手くそなバイエルの曲など聞こえてくるなどあり得ない。そう政夫は言いたかった。
花子も同感だった。
「うちもお父ちゃんに迷惑かけたないし、宮本ちゃんや他の記者さんにも悪いからピアノはやめた方がえぇ思うわぁ」
宮本ちゃん。
花子の言う宮本ちゃんとは、政夫の部下であり優秀な新聞記者だ。
人柄は頗る良く、花子には、いつも出張先で見つけた面白いお土産や、親ですら忘れている花子の誕生日に、ささやかながらプレゼントをくれる奇特な人物だった。
花子は、宮本ちゃんが大好きだった。
ある日、駐車場にツバメが巣を作り、その中で雛がたくさん餌を欲しがり泣いていた。
チャ子は車に糞を撒き散らすツバメ一家を嫌っていたが、花子はピーピー可愛いく鳴いている雛を親ツバメのような気持ちで毎日、下から見守っていた。
ある日、花子が学校から帰ると、一匹の雛が巣から落ちていた。驚いた花子は雛に駆け寄り、地面に這いつくばると耳をそっと近づけてみた。
「生きてる!でも、どないしょう」
べそをかき、動揺している花子に気付いた宮本ちゃんが声をかけた。
「花ちゃん、どないしたん?」
「あ、宮本ちゃん。あのな、ツバメの子がなぁ、死にそうやねん。どないしょう」
宮本ちゃんが来てくれた事への安堵感からか、花子は号泣してしまった。
すると、宮本ちゃんは優しく言った。
「花ちゃんは、ほんまに優しい子やなぁ。大丈夫やで、生き物はそう簡単には死なんのや。せやから、安心しぃ」
そう言って宮本ちゃんは、倉庫から脚立を出してきた。
そして、広げた脚立に登った宮本ちゃんは手の平に器を作って花子に言った。
「花ちゃん、雛をここにそっと入れて」
花子は指示通り、優しく雛をすくい上げ、宮本ちゃんの温かくて広い器に雛をそっと入れた。
「大丈夫やで、大丈夫やで。今、お母ちゃんが助けてくれるさかい安心しぃ」
そう言って、宮本ちゃんはそっと雛を巣に返した。他の兄弟たちも生還した兄弟を讃えるかのようにピーピー鳴いていた。
しばらくすると、親ツバメが餌を持って戻ってきた。そして、落下していた雛のくちばしに、一番先に餌を入れた。
花子も宮本ちゃんも目を丸くして驚いた。
あぁ、これが母性かと花子はしみじみ思った。
雛は餌を味わうように食べた後、大きくピー!と鳴いた。
「花ちゃんに有難うって言うてるわぁ」と、宮本ちゃんが笑った。
花子も笑った。
こんな混沌とした日常に起こる、些細で温かな出来事のお陰で、明日も生きようと思えるんだなぁと、二人は笑った。
花子は大阪で暮らす祖母の愛ちゃんと同じくらい宮本ちゃんが大好きだった。
しばらくして、政夫から宮本ちゃんが婚約した事を聞いた花子は少しばかりショックを受けたものの、宮本ちゃんが幸せなら!と、まるで、元カノのように強がっていた。花子は頭と要領は悪い子供ではあったが、人を思いやる事は出来る子供でもあった。だから花子は二人の幸せを心から願った。数日後、宮本ちゃんとフィアンセが政夫とチャ子に仲人のお願いをしにやってきた。二人はとても幸せそうだった。テーブルの下で硬く繋いだ二人の手を見て花子は確信した。彼女もきっと、あの時、宮本ちゃんに助けられた雛のように、優しく大きな手で守られて生きていくんやろうなぁ。そう思いながらテーブルの下の二人の愛を見た花子はふんわりした気持ちになった。
と、同時にいつか自分もこうやって親に婚約者を紹介している事を想像した花子はたまたま遊びに来ていた祖父である隆二の手を握っていた。
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