「書く」
最近、ライティングについての本や記事を読んでいる。
お恥ずかしい話、文字はずっと読み書きしていたものの、書ける文章は心の中の書きなぐりだ。
私は最近、人生で初めて真面目に文章を書こうとしている。
今まで「エッセイ」「ライトノベル」「文学」を愛好してきた。
絵のようなドラマチックな文章が好きだ。
好きはいいところとして、技術や向き合い方を知るのは大事だ。真似させて頂きたい。
それなのに、どういうことか、学べば学ぶほど、心の在り方、スタンスに迷いが出てくる。
ない「正しさ」への疑問が出てくる。
「書く」が読み手と書き手の「対話」だとすれば、
・顔色をうかがう話し方
・演説をする話し方
・勧誘をする話し方
・愛を伝える話し方
・お母さんへの話し方
・子供への話し方
・裁判所での話し方
・歌を語る話し方
・寄り添う話し方
・独裁者の話し方
全部一緒なわけがない。
「読みたいものを書け」
「伝えたいものを書け」
「書く資格があることを書け」
「誰にでもある日常を書け」
「時系列で書け」
「出来事から書け」
「誰か一人に書け」
「過去のあなたに書け」
「一人よがりで気持ちよくなるために書くな」
「あなたが悦び心を震わせながら書け」
自己啓発本を読んでいる時期があった。
「こうでなければならない」というのも、才能キラーだなあ、と感じた。
ぐちゃぐちゃ考えながら檻の中でああしろ、こうしろ、と監視されながら、矯正ギプスをつけて生きるとすれば、恐怖になってしまいそうだ。
実は昔、下請けで校正の仕事をしたことがある。
「つまんなそうに書いてるな」「楽しそうに書いてるな」
「タスクとして書いてるな」「奇天烈文章すぎておもしろいな」
「小論文だな」「体験談じゃなくて空想だな」
様々な文章を読んだ。
それは全部、結構なことだ。
文字数とルールさえ守っていれば大体通った。
大正解だ。
わざと表記ゆれをさせて味のある文章にしているものを「表記ゆれ」として添削すること、
わざと韻を踏んでいるものを「語尾の繰り返し」として添削すること、
おもしろみを出すための話を「冗長な表現」として添削することなどした。
私は首輪をつけられた監守だった。
知識として知るのは大前提で、
矯正ギプスもほどほどに、かな、と思った。
私は書くのが好きだ。
私の中で好きと書くが相思相愛でハッピーだ。
「書く」と一言で言っても本当に多様だ。
ゲーム好きにも、
RPG好きとアクション好きとFPS好きと格ゲー好き、音ゲー好きなどがいる。
たしかに何故か全部うまい人はいる。
神は二物も三物も与える…。
それもそうだけれど、ただ、突き抜けてうまいのは大体1個か2個だと思う。
文章にも個性がある。
何がダメで、何が良くて、みたいな「正解」はない。と、思う。だめかな?
「ぱぱ、いつも、ありがとう。
こんど、どうぶつえんと、すいぞくかんと、うみと、ままと、いきたいよ。
ゲームを、いっしょにあそんで。
おとうさん だいすき」
文字も、ピカソみたいな、
独特な芸術で。
ひとつ、「こうかな」と思ったのは
「好きだな」「なるほどおもしろい」と自分が思う、「書きかた」「楽しみ方」をたくさん読んで、
真似してみる、真似してみたくなるのは、技術を学ぶことだな、と思った。
「好き」に「書く」。
好きを書く水彩にお似合いな気がする。
あなただけの答えもたぶん、
あなただけの中にあるんだと思う。
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