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痛々しいオタクのカッコイイ覚悟
友人からアドバイスをもらったことがある。
「ちょっと痛々しいよ」
聞いた時ショックだった。
一緒にオタクをしていた友人が、そう言ったことがショックだった。
それが「当たり前」だと、社会の風潮なのだと知っていたからこそ、ショックだったのかもしれない。
「友人」か「オタク」かどちらかをとらなければならない感覚がショックだったのかもしれない。
彼女が私のことを恥ずかしいと思うのならば、彼女は私と一緒にいたいと思ってくれないだろうし、私は彼女と一緒にいたいと思えなくなってしまう。
夢中になっているオタクが好きだ。
好きなものを好きだと言えるオタクが好きだ。
それを私が否定したら、私が私に否定されてしまう。
そんなにオタクは恥ずかしいことだろうか。
サブカルチャーはバカにされて当然のものだろうか。
エンターテインメントは愚かだろうか。
時間とお金の無駄、もっと生産性のあるものを、学びを、自己を高めるものを、スキルアップできるものを、社会の役に立つことを、etc…
エンターテインメントは心を豊かにする。生産性がある。
様々な感動をくれる。学びがある。
向上心をくれる。自己を高めることができる。
何かを学ぶきっかけをくれる。スキルアップできる。
誰かの心の支えになる。夢やわくわくをくれる。
せっかく生きるんなら、どうせなら楽しんで、好きなものの未来を育みたい。そのために私にできることは少ない。
私を最大限活かすとすれば、ここだと思う。
直接的に衣食住に関すること、命に関わることではないかもしれないけれど、心に豊かさがないと死んでしまう気がする。歌や踊りも、なんだか楽しみたいからはじまったんじゃないかと思う。
まだ突き抜けていないんだな、と思う。
ウォルトディズニーさんや、藤子不二雄さんや、岩田聡さん、ヒカキンさん、Adoさん、そういう方々を「痛々しい」とは表現しない気がする。
私が「楽しみを作って、未来を育んでいる姿」を見せることができていないから、痛く見えてしまうんだと思う。
もう彼女とは話すことはないかもしれないけれど、
いつか『ちょっとかっこいいじゃん』と思ってもらえたら、
また、いま好きなものの話をしてくれるようになるかなぁ。
ああ、「好きがわからない」っていう知人もいた。
今なら「好きになり方」のアドバイスができるかもしれない。
覚悟を決めること。腹据えること。
自分はこれが好きで、ここで命を燃やすと決めること。
挫折しても飽きてもいいから、いったん本気になること。
どれだけ下らないことでも、儲からなくても。
覚悟が決まってる人ってかっこいい気がする。
痛いかもしれないけれど。
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