【好き】好きを選ぶ

この方の書くもの、最高! 好き!
ブログやってる! ブクマしちゃおう!!

たまたまゲームについて調べている最中、とある記事が目についた。
私の好みの文章だった。
たまたまライター名が書かれており、個人ブログがあるというので見に行った。どうやら、その方はほぼ月に1度しかブログを更新していない。

この、インターネットの海に無数の文章があふれている中で、
その方の書くものを待ってみている。


令和になって感じるのは
「世に出るコンテンツがあふれている、飽和状態」なことだ。
選択肢が多すぎることは自由ではない、とどこかで見たことがある気がする。
昭和生まれの私の青春時代は
「世に出るコンテンツが限られていて、多くの人が同じコンテンツを見て何かを感じていた」ように感じている。
(インターネットがなかったって信じらない………)

今、プロとアマ、初心者とベテランの区別が小さくなり、
本当に「誰でもアーティスト」といえる状態になっているような気がする。
これは賛否あるかもしれないけれど、私はいいことだと思っている。
個性の数がアートだと思う。

その弊害で、「何を選べばいいのかわからなくて、何も選べない状態」になっている気もする。
20種類のジャムより、4種類のジャム、というやつだ。
(選択肢を絞ることで「選びやすい」。「選ばない」を避ける)


私も半年前、そうなっていた気がする。
選ばなければ傷つかない。生きなければ死なない。
過剰な自己防衛で、傷つかないように、慎重に何も好きにならないようにする。バカにされない。間違えない。裏切られない。
安心な殻にこもって、だんだん感覚が、心がマヒしていく。
死ぬために生きるようになっていく。


ミスタードーナツのコピーで
「たくさん「好き」があるってしあわせだね」
という内容のもの見たことがある。
コピーライターってすごい。

私はドーナツを食べながらそれを見て「そうか!」と目からウロコだった。
「好き」なんて何個あってもいい。

「好き」はどれだけ多くてもいいけれど、自分の信じたいものを信じたいと思う。
見渡せば、本当に無限にアーティストがいて、「この方!」と定めてしまうのがもったいないように感じるけれど、選びたいと思う。
「自分で選ぶ」を選びたい。


選びたい。

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