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創作と好きと性癖

好きなものを否定されると傷つくのはなぜだろうと考えたことがある。
同時に、創作をしてその作り上げたものに対して批判されたり否定されたり、批判ではなくても自分の考えと違う読み取り方をされたり、かといって全く反応がなかったりしても嫌になったり傷ついたり落ち込んだりする人が多くいるのは何故だろうと考えることがある。

創作に詰め込むものは好きなもの、言い換えれば「性癖」
多分無意識にそういうものを詰め込んでいると思う。

性癖の「性」という字は「りっしんべん」から作られる。
要するに「心」である。
そして作りの部分には「生」生きる。
心の命とも言えるだろう。

そして「癖」
性癖の場合の「癖」は↓①の意味かなと思う。

無意識に出てしまうような、偏った好み傾向習慣化している、あまり好ましくない言行。「爪をかむ癖」「なくて七癖」「怠け癖ぐせがつく」
習慣。ならわし。「早起きの癖をつける」
一般的でない、そのもの特有の性質・傾向。「癖のある味」「癖のある文章」
折れ曲がったりしわになったりしたまま、元に戻りにくくなっていること。「髪の癖をとる」「着物の畳み癖ぐせ」

デジタル大辞泉

要するに創作とは「無意識にさらけ出した心の命の実体化」ともいえるのではないだろうか。
さらけ出した命の実体化であるなら、それに対する反応全てが致命傷となりうるというのも当然になる。

人間の悩みの大半は人間関係というけど、創作する側と受け取る側も結局人と人との関係だから難しいよね。
しかも投げるものは心の命っていうね。
うまくキャッチしてくれる人もいれば、打ち返す人もいる。
その打ち返されたものをサラッと受け流せる人もいればそうじゃない人もいるから、本当に本当に難しい問題だ。

はっきり言って正解がない。
というより、正解が人の数だけありすぎてどうしようもない。
しかも1人に1つじゃなくていくつもあったりする。
結局はお互いに相手を理解しようとする一定の努力を続けることと、自分がこれなら大丈夫という必勝パターンの考え方や受け流し方をいくつも作ることと、人によっては慣れ。
それでもだめな時に「筆を折る」となるのだろう。

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