ジェンダーと私
とても興味深い記事だったので、24時間無料で読めるようにしました。
10月31日 11:20まで、このリンクから無料で読めます。
この記事に限らず、よく感じるのは、「ミルキーペン」が女の子の趣味で、コメントに出てくるドラゴンクエストの「バトルえんぴつ」が男の子の趣味なのか?ということ。
自分自身を振り返ってみると、かわいいものも好きだけれど、それがどうかわいいかによるし、ドラゴンクエストは大好きなゲームだけれど、バトル鉛筆は別にほしくないと思うし、それは千差万別でありつつも、「こっちが女性的」「こっちが男性的」という区分は世の中に存在している。
私自身についても、こういうところは男性的、こういうところは女性的、と言われるけれど、そもそもなにが男性的、女性的か、というのは、これまでの社会のなかでそう考えられてきた社会的性差の上に成り立っているのだなぁ、と思う反面、それは正しかったのか、とも思う。
曰く、赤いランドセルは女の子のものだったけれど、今は男子でも赤のランドセルを持っているし、紺を女の子が背負うし、それをおかしいというほうがおかしい世の中になりつつある。
そういうなかで、個人的な体験としての仮説を積み重ねて、自分はトランスジェンダーなのだと認識したりするというのは、どういうことなのかが、まだ理解できないでいる。
というのは、私はたぶん異性愛なのだけれど、フェミニンなデザインのものよりすっきりしたもののほうが好きなので、シャツやアウターはユニクロのメンズのを愛用してる。
スカートはもう20年くらい履いていないと思うけれど、それはスカートが嫌いというより、似合わなくなってしまったし、仕事上、動くのにスカートがあり得ないし、そうやってデニムを履いていたら楽だし、ということに尽きるから…と、これも仮説の積み重ねで、こうしていくうちに自分らしいなにかが見つかるのだろうか。
社会的な性別と、生物学的な性別があり、そこにさらに自認の性別がある。
自分をどう扱ってほしいかを表明できる世の中になっていくことはいいことだと思うけれど、自分とは違う考えにも寛容でいたい。
なんだかまとまらなくて、最初、Facebookに書いたけれど、こっちじゃないな、と思ってnoteに書きました。
文学部社会学科でジェンダーをテーマにしていた学生時代の私はもうずっと前のことだけれど、こういう記事を読むと、自分があの頃とあまり変わっていないのかな、と思う。