化学反応-配信型ライブハウスへの道(番外編)
土曜の夜の独り言
緊急事態宣言がでる少し前、撮影の仕事がぱったりなくなってしまった。
もうずいぶん経つけれど、リーマンショックのとき、ライターとして広告の仕事をしていて、決まっていた仕事もキャンセルになって、全部なくなったときのことを思い出してた。
数ヶ月で元に戻るだろうという楽観視はできなくて、でも、リーマンショックのときよりは、気持ちに余裕があった。
まだできることがある、そんな実感と、自信みたいなものがあったから。
大好きなライブが次々に延期や中止になって、これからは配信なんじゃないかと思った。
自分より若者の意見を聞こうと思って、娘に聞いたら、それは配信は増えるでしょ、と言う。
資金が底をついてからでは遅い。
そう思って、急いだ。
手持ちのカメラを活かして、高画質でできるはず。
すぐに機材を買って、勉強を始めた。
配信をしたいが協力してくれる演者さんを探している、とツイートしたら、タイミングよく、以前から知り合いのアーティストさんが拾ってくれて、自分たちも配信をしたいから、ということで、すぐにイベント配信を始めた。
いっぱい失敗したし、試行錯誤の連続。
トリッキーな方法もたくさん開発した。
実現したいことを前に、それを実現するための手段を考える。
どうすれば失敗がなくなるか、よりシンプルに実行できるか。
複数の方法がある場合、考えられるそれぞれの利点、欠点はなにか。
なんとかできるようになったところで、今度は友人から、あるかたを紹介された。
持っている場所で、ライブ配信をしてほしいと言われて、これはほんとに現実なのかな、こんなことが人生にあるんだろうかと思いながら、しっかり現実感があった。
ギターは好きで弾いているけれど、ライブはお客さんとして楽しむ側だった自分が、いま、配信型とはいえ、ライブハウスを作ろうとしている。
ひとり配信ができるようになりたくてここまで来て、今度は音響ができるようになりたいと思っている。
音響ができるようになったら、照明。
なんて欲張りなんだろうと思わなくもない。
プロの仕事を舐めている、と怒られるかもしれない。
それぞれ専門家がやる仕事に違いない。
私だってプロなので、それは思う。
私がやっている写真も、これからやろうとしている音響も、照明も、それぞれ専門の学校があったりする。
学校で学ぶだけの多くの知識が必要なのかもしれない。
でも、学べる場所は学校だけじゃない。
教えてくれる人もいる。
触れたことのない世界は怖い。
満足な音が作れるだろうかと思うと、ひとりで考えているこんな夜には怖くなる。
音作りというと複雑な気がするから、シンプルに考えようとしている。
どの音を大きくするか、全体の大きさはどうするか、バランスをどこに寄せるか。
写真と同じだと思う。
全体の明るさをどうするか、構図をどうするか、バランスをどうするか。
これからそれをできるようになる。
マニュアルは購入前に読んで、どのスイッチがなにを担当しているのかはいちおう理解できたので、このあと機材が届いたら、練習。
こういう音にしたい、こういう音がほしい、というアーティストさんの要望に、すぐに対応できるようにならないといけない。
それができるようになったら、次は照明をやりたくなっている。
小さいLEDの照明をふたつくらい買って、背景を布で作って、コントロールする。
そういう装置があるのも分かった。
これはたぶん、音作りより、私には簡単な気がする。
自分のことを外から見るように冷静に見るのは
とても難しくて。
自分を見る他者の目の有り様を、私は自分のなかに持てないでいる。
たぶんいまの私がやっていることは、私をよく知らない人から見たら、とんでもない、とか、よくやるよ、といった呆れているもの、ほんとに大丈夫か? プロの仕事を馬鹿にしていないか、というもの、信じられないことをする、というものなんじゃないかと思う。
でも、応援してくれる人だっているし、これからやろうとしていることを面白がってくれる人もいる。
直接話をした人には、なんならそのほうが多いくらい。嬉しい。
私はフリーランスで、私がやっている仕事は、どれも資格が要るようなものでもないので、名乗ってしまえばその日からその職業、と言えなくもない。
そうは言っても、そう名乗るのなら、それだけのことができる能力を持って、お金をもらわないとプロではない。
去年、もう20年来の仕事仲間でもある大先輩に、数年ぶりにお会いして、あなたがカメラマンになってるなんてびっくりしたなぁ、と、笑顔で言われたことを思い出す。
そういう先輩も、同じITのライティング業界にいたのに、いまは福祉機器の開発をされているので、おあいこだけど(笑)
分野がまったく違うように見える仕事も、私のなかでは重なりがあって、つながり続けているし、それぞれで得たノウハウが、別のスキルと結びついて、また新しいものを生み出す力になっている。
自分のプロフィールに書いた、ばらばらに見えるそれぞれの職業は、その仕事をしているというより、そのスキルがある、ということを示すもの。
なかなかつながって見えないことに悩んでいましたが、noteをちゃんと書き始めて、自分のなかのその悩みが、少し解消されてきた。
人は多面性があって、全部が私。
Twitterのアカウントを使い分けたり、ビジネスとプライベートを切り分けたりがどうも苦手でうまくできなかったけれど、もうそのままでいいやと何年か前に思って、切り分けるのをやめたた。
自分が思うほど、人は自分に関心を持っていないし、仕事向けの顔だけを切り分けて出せるほど、器用ではないのが自分だから。
SNS時代になって、会う前に検索されているのもあたりまえになったんじゃないかと思う。
言われなくても、私と会う人は、たぶん私の名前を検索しているだろうし、SNSも見て、なんならnoteも読んでいるかもしれない。
エゴサはしないけれど、珍しすぎるフルネームも善し悪し。
なんてばらばらのことをやっている人だろう。
そう思われてもしかたないことを、ここ数年、現在進行形でやっている。
でもしかたがない。
好きで始めたこともあるけれど、いろんな波に揉まれて、仕事がなくなって止むなく別のことを始めざるを得なかったことのほうが、ここ10年は多い。
泳ぎ続けていないと死んでしまう
そんな感覚がある。
自分のなかで、文章を書いたり編集すること、写真を撮ること、そこにライブ配信が加わり、今度は音楽を届けようとしていること、全部が混じり合って、化学反応を起こして、なにかが生まれたらいいなと思う。
配信型ライブハウス 月と流星群でも、そんな化学反応が起きるようなライブをしたい。
ひとつの曲を複数の人が演奏して重ねていったり、クラシックなピアノと今風なアコースティックギターの出会いがあったり、そんなことをしてみたい。
ピアノとギター、ボーカルの音は、今日、注文した機材で録れるはず。
ほかの楽器のことも考えると、弦楽器の配信って、どうやったらいいんだろうとか、バイオリンとか、また音をとるこつが違うはずなので、ピックアップとかどうすればいいんだろうとか思う。
配信サイトを決めて、やることがほかにもたくさんある。
軌道に乗るまで、一円にもならない。
いまのところ、機材代と、配信の練習のために移動で使った交通費で赤字だけれど、ちゃんとお金のことも考えながら、定期的な配信ライブ開催ができるように。