子どもはもともと主体的
生まれてからの1年間ほど人間が成長する時期はないだろう
とテーブルや床に散乱したパンの破片を拾いながら思う。
次男は手づかみができるようになった。彼はパンを口にを持っていってもフイッと顔をそらす。観念してお皿に置いておくと、自ら手を伸ばして満足そうに食べる。
三男は表情が豊かになった。パンじゃなくて牛乳をくれと、しかめっ面とアゴで教えてくれる。牛乳のコップを口に運ぶと嬉しそうに飲んでいる。
彼らを見てると自分の欲求に正直に生きていて、たまにうらやましい。
嫌なことは頑なにやらず、やりたいことには突っ走っていく姿を見ると、彼らほど主体的な人はいないんじゃないかと思う。主体性って身につけるものじゃなくて、すでにあるものを育てるってことなのかと思い直す。
もちろんこのままだと、長男が遊び出したパズルに突進してバラバラにしたり、父や母をトイレにまで追いかけてきたりと他の家族との衝突も起こる。
ある程度妥協したり、指示を理解してもらうように社会性も身につけてもらわなくてはならない。
主体性の芽を摘まずに、社会性を植え付けるのは難題だ。ついつい親の都合よく動いてくれと思ってしまう。あれやれこれやれと口を出したくなってしまう。
自由な彼らの、やりたいという芽をつぶさないように、大きく花開くように、ほどよい距離で見守っていこう。
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