私の人生
わたしは母から虐待と育児放棄をされていた
その経験が今となっては足枷になっている。
毎日ご飯は無い。お風呂に入れてくれない。
洗濯もしない。掃除もしない。
殴る蹴るは当たり前。
包丁を振り回す母親の姿、
お風呂の湯船に水を張り、
頭を押さえつけられ杀殳されかけた。
それでも私はお母さんのことが大好きだった
お酒をのむと怖いお母さん。
本当は優しいと勘違いしていた。
唯一のいい記憶はお酒を冷蔵庫から
持ってきてあげるとありがとうと
言ってくれたこと。
それが特別だった。
小学生になると周りの子が羨ましく感じた。
ゲーム、習い事、新しい服、全てが羨ましい
だから私は嘘をついた。何度も何度も。
小学高学年になると全てバレた。
もちろんいじめられた。
そして
自分の家のおかしさに気づくようになった。
ヒステリックになるお母さん。
仕事に逃げるお父さん。反抗的な姉。
私には居場所がなかった。
わたしは髪の毛を抜くようになった。
手首を切りつけるようになった。
髪の毛がなくなり、そしてまた虐められ
家に帰ると暴言暴力。何度も死のうと思った
だが
中学校で頑張ろうと思い、
ウィッグを購入し、登校した。
すると違う小学校の子に同じ小学校の人が
「あいつ自分で髪の毛抜いて禿げてるんだよ」
たくさん言いふらされた。
今となってはよく学校行ってたなと思う。
外見がダメなら勉強をがんばろう、頭のいい高校に行っていじめのないところに行こう。
そう思い、中学1年の後期から塾に通い始めた
これが今となってはダメだったと思う。
友達に誘われ、週4で通った。
周りと違い、わたしは家事をしてご飯を
祖母の家に食べに行って勉強して塾、帰るとお母さんに蹴られる、夜3時までテスト勉強。そんな生活だったため体は限界を迎えた。
通い始めて半年。
突然酷い頭痛に襲われた。
午前中だけ痛くて午後には治る頭痛。
登校渋滞から不登校になった。
お父さんに「仮病だろいい加減にしろ」
お母さんには
「なんで家にいるんだよ。学校に行け」
と言われた。
誰も味方がいなかったが、
祖母に病院に連れてって貰った。
原因不明だった。
貰った薬を飲むとすっかり治った。
しかし、病院に行くのが遅くなったせいか
休み癖が取れなくて不登校が続いた。
すると
塾に誘ってくれた友達から急に縁を切られた
家の事情も髪のことも全て分かってくれてると思っていた。
塾にも行けなくなった。
みんなに責められた。
自分でも情けなくて苦しかった。
そして自傷行為がまた始まった。
中学3年になると市販薬を大量に
飲むようになり、
学校の勧めから6月1日から今の
かかりつけの精神科に行くようになった。
「愛着障害」
そう言われた。
お母さんから愛されていなかったと知った。
そして6月21日。
お母さんが死んだ。
実は私が中学三年になってから
歩けなくなっていた。
理由はお酒。アル中で脚気になっていた。
身体中の色んなところがだめになっていた。
循環器不能で亡くなった。
第1発見者はわたし。
氷のように冷たい肌。
ピクリともしない硬くなった体。
目も開いて虚ろな目をしていた。
1番愛して欲しかったお母さんが
亡くなったことにより私の病状が
更に悪化した。
2024.3月から
皮下脂肪まで切る自傷になり、
ネットの人間に過度の依存をし、
何度も自殺未遂をし、
大量の市販薬を飲んだ。
そして9月17日に飛び降りてしまった。
運良く生きてしまった、
これからの人生どうしようかと考えている。
きっと退院すればまた元の生活に戻り、
お母さんの亡くなった家で独りぼっち。
どうせ生きていても
お母さんに愛されることがないなら
もう死んでも生きてもどちらでもいい
ただ愛されたかっただけなのに。