自由な私が、今もなお悩む理由。
私の初めての記事の投稿が、高校2年生の冬にはじまった。
よく覚えている。
集団塾の帰り。
池袋の西武百貨店を横目に、空を見上げて星の話をしていた。当時の私には、それくらいでしか自分を見失わずに、社会という監獄の中の道筋を歩いていくことが出来なかった。
自分の中で、どうにかして、この私自身を書き留めておきたい。私にしか感じれないものがある。そういう想いでいっぱいだった。
それから1年経って、大学受験を終えた。
ここに書き込むことが少なくなったのは、果たして良い事なのか。私には分からなかったが。
まだ報告をしていなかったが、大学に入って、初めて異性の恋人ができた。
全く知らない感情に突き動かされていった私を待っていたのは、
多くの戸惑いと不安だった。
多くの場合、私の人生の経験上、何かを好きになる対象はヒトではなかった。ここでいうヒトというのは、体で繋がることのできるヒトではない。
(意味は分かってほしい)
だから、知らないことばかりだった。
私の性自認はノンバイナリーだ。
おとこ、おんなというのはあくまでも性別上であって、心の性がどちらかに振り分けられることに多くの疑問を抱いていた。
彼と出会って、私は、自分の知らない自分と出会った。
フリルのついたワンピースなんて、着たことが無かった。
誰かのために化粧なんて、したことが無かった。
一日中誰かの事を、ずっと頭の片隅で考えることなんて無かった。
コンドームの話をすることなんて、一生無いと思っていた。
生理がくるとか、こないとか、そういうことを心配することなんて無いと思っていた。
私は、今までの自分の首を絞めるかのように、自分を押し殺していた気がする。
今になって、あの頃の自分に戻りたいと思うようになってしまった。
でも、同時に今の自分も好きになってきた。
でも、心だけは、あの頃の自分に捧げていたい。
頭の片隅で考えるのは自分の事だけでいいはずだ。
宇宙の事や、哲学の事。愛の事も。
私は人を本当に好きになったことが無かった。
その人の全てが欲しいなんて、お互いに言い合ったことも無かった。
この感情は美しいものだ。でも、私にはどこかに合わない気がする。
分裂している。
私と、私が。
それがつらく、見苦しいが、しあわせで、楽しくて、どうしようもないので、私は、悩んでいるんだ。
これは私じゃない。
でもどこまでいっても無限の私に後ろ指を指される。
私。
私は、私であるから、これからも悩むしかなく。
私が私でなくなった時、またここに来ることは少なくなる。
でも少なくとも、私はまたここに書き留めたいと思う。