実は、今かなり自分の人生を変えようとしている。 自分の人生において、いちばん毎日を生きている気がすることに出会い それに命を注いでいる。 それが楽しくて仕方なくて、色んな人に迷惑をかけながらやっている。 そのせいで、まったく自分の心から、自分が離れていくことに気が付かなかった。他者の介入は、素晴らしいものと、おそろしいものをもたらすことはよくわかっていたのに。 私が望むことは、いったいなんなのだろうと、振り返る時間が必要なのだと最近思う。 他者からの承認を受け取ればうけと
今でも覚えている。 中学二年生の四月、帰りのバスに揺られながら、手帳にこんな事を書いた。 ”今日はクラス替えから四日経ちました。 またあの子といっしょのクラスになってしまいました。 これを読んでいるあなたは今どこで何をしていますか。 私はあいかわらず、本当を見つけられていません。 ほんとうがわかりません。 はやく本当の友達が欲しいです。 これを読んでいるあなたが、ほんとうの友達を見つけられていることを 願っています。” あれから、十年はたっていないが、このころの私が いか
X(旧:Twitter)で、こんな内容の投稿があった。 ガクチカなんてどうでもいい。 企業が求めているものも、理念なんぞにも興味はない。(内容を要約) この考えは、多くの就活生および、日本で働く人々、および 働く人であるならば誰であっても、そうだろう。 皆が欲しいのは「他者よりもより良い人生」であって、 仕事の理念に共感しました、というのは、自分が働くことの理由にはならない。それは手段にしかならず、多くの働き手がかぶっている仮面である。 社会に対抗する手段はいくらでも
恋人とキスをして、不用意に乱れる。 仕方が無いのだから、と自分に言い聞かせても、事後にはほんの慰めにもならない。 ああ、やってしまったんだねえと自分が嫌になる。 二年前の勉強に包まれていた自分には想像もできない未来。 いろいろなことが早すぎたのかもしれないが、気持ちよさと気持ち悪さを知るのにはちょうどいい年齢かもしれないと、自分を納得させるしかなくて。 だいたい気持ち悪い方に傾く。 喉の奥から嗚咽がはしって、なにかがこみあげてくる。 綺麗で居たい自分の中にこんな欲望が混ざ
ちいさいころは、うちゅうひこうしになりたかったなあ。 ちいさいころは、まんがかになりたかった。 すこし成長して、医者になりたかったかもしれない。 また成長して、小説家になりたかった。 少し前は、映画監督になりたかった。 でも、そのどれも、結局はどこか、儚いものになった。 嫌なのは、その可能性がチリジリにならず、こころのわだかまりとして今もまだ残っていることだ。 でも不思議なことに、そこまで嫌じゃない。 「こうなりたかった」でも「なれるかもしれないけど、そこまでの覚悟もないし
何年絵を描き続けているのか。 この途方も無い思考は、いったいどこからやってきたのか。 はじまりは分からなくとも、気づいたらこうなって、こうやって生きるしか無くなってしまったのだから、仕方ないだろう。 絵を描き始めたとき、私は夢中だった。 それしか興味が無かった。 なんの不安も感じず、このままずっと変わらないのだろうと思っていた。 しかし今はどうだろう。 大学生になって、いろんな事を知った。 知らなくていい事は、なるべく知らずに生きてきたつもりだ。 不安や恐怖。ただ一本の
驚くほど、将来「なりたい職」など無い。 絵が好きなの?なら、イラストレーターはどう? 本が好きなんだ。だったら、文章校閲や編集は? 写真に目覚めたのね。写真家はどう? それは趣味である。というか、趣味であってほしい。 小さい頃は、宇宙飛行士になりたかった。 ただ空中を舞ってみたかった。好奇心だ。 そのあと、医者になれと言われたか。覚えていない。 そのあと、自分で漫画を描き始めたので、漫画家になりたかった。 しばらく、絵を描かなくなって、将来よりもより近い未来を考えるように
恋は盲目だ、とはよく聞く話だ。 恋に落ちる、といった表現をはじめてした人に拍手を送りたい。 それほど、恋とはすさまじい何か力を持っている。 逆を言えば、恐ろしいものでもある。 最近見たニュースで、ある女が別れ話をされた男を監禁していた、というものがあった。恋、(いいや、すでにそれは恋ではないかもしれない) それは人の人格さえも変えてしまう。人を殺す原動力にさえなっている。 恋とは自然発生的なものだろうか。いいや、社会とはその場をもうけることが出来る。それがホス
汽車が蒸気を立てて走っている。 止まることを知らないそれは、いまもなおまっすぐに。 大学生になって、自由になったと思えば。それでもなんだかいろんなものに縛られている気がする。 例えばなんだろう。 人間関係だろうか。 今はSNSとか、いろんな他人の姿を見れるようになって、自分の欲求みたいなもののボーダーが、ぐんぐんあがっていってる気がする。 私もそういうものに触発されて、自分がしたかったこと・思い描くものはなんなんだろう、と日々葛藤し続けている。 ああすごいなあ、羨まし
私の初めての記事の投稿が、高校2年生の冬にはじまった。 よく覚えている。 集団塾の帰り。 池袋の西武百貨店を横目に、空を見上げて星の話をしていた。当時の私には、それくらいでしか自分を見失わずに、社会という監獄の中の道筋を歩いていくことが出来なかった。 自分の中で、どうにかして、この私自身を書き留めておきたい。私にしか感じれないものがある。そういう想いでいっぱいだった。 それから1年経って、大学受験を終えた。 ここに書き込むことが少なくなったのは、果たして良い事なのか。私に
嫌になりそうだ、という感情はもとより。 大学には様々な人がおり、その種類がさまざまで。もはや種類、なんて言葉は嫌気が指すほどの無秩序と課している。 大学に入って、恐ろしいほどの社会と人間関係の罠に絡まっている。 私のなまえをもう呼ばないでくれ。 私のことをどうか忘れてくれないか。 そんな人が沢山いる。 一体何人の人の顔と名前を覚えようとし、(おぼえたくない)、そのたびにわすれてくれ、と願えばいいのか。 嫌になる。 きらいになる。 しかし、その人のたちが居なければ、 あの
ハルウララ。 桜が私の頬をかすめたとき、目が合ったあの人は誰なのだろう。 誰でもいいが、何か一瞬のときめきに胸躍らされるのは何故だろう。 果たしてそれは、永遠に勝るものなのだろうか。 まずは、『永遠と一日』。 最近、私の中である葛藤が起こった。 詳細は述べないが、たった一日でその後一年間が決まってしまうような出来事が起こったわけだ。 私がその一日を放棄すれば、一年間は現時点での私が望んでいた形になるのかもしれない。 しかし、私は後悔するのだろう。私が捨てたあの一日を。
無事、私は準最難関大学に推薦入学が決まった。(こういういい方は好きじゃないけど、頑張ったから言わせてください) 思いをはせれば、私は約1年前にnoteをはじめ、 (それは、塾帰りにすれ違う都会の人々を思ってのことからはじまった。タイトルは、都会のひとびと みたいな感じだった。かっこつけるなよ..) 気づけば、はじめていた。 それはなんとなく、どこかにいる、世界のどこかに居たあなたに、 私という人間が感じたことを、共有できればいいなと思ったからだ。 あれから、1年たって、いろ
こんな夢を見た。 はじまりは忘れたが、朝家の前に出ると、 顔を知っている近所の人が大勢並ばされている。 列は4列で、老若男女問わずだった。 4人が前に出て、なにやらそわそわしている。 一体何事だ、と怖くなりまじまじと見ていると、長い機関銃を持った 白い服を着た複数の男たちが、銃をかまえる。 パパパパパパパ、という音とともに前の4人は当たるか、当たらないかくらいで撃たれていた。そして血を流していた。 これは異常だ。 見つかってはいけない。まずは、家族を守らないと。 反射的に
この世は全て意味が無い事は承知だろう。 勝手に生まれ、勝手に育ち、勝手に愛され、勝手に生きながらえている人類。 私は空虚でたまらない。 人々がそんな世界に意味を与えようとしてきたのは、もう数千年も前のことだった。神を仕立て上げ、神を名乗り、神を愛し、愛されている幻想を持ち続けた。人類はもう何千年も、救われていない。むしろ、落ちぶれている。 何をしようにも、全てが無駄になってしまう。 私は今の人類が、ちょっとよく分からない。 長い目で見れば、私達に生きる意味はない。 私が
アニメや映画を、ただ創造の中の出来事だからと、こどものようだと 感動も何も感じられなくなってしまうのが怖い。 それこそ、自分が本当に死んだときなんじゃないかと思う。 人が二度生まれると言われるように、人も二度しぬんじゃないか。 一度は、精神的な死で二度目は肉体的な死。